一族の風習である婚約の儀式は代々船上で行うそうで、この船ははるばる上海から、今日のために航海して来たらしい。長大な船体は真っ赤に塗られ、フィギュアヘッドには金に輝くフェニックス、尾羽根が大きく広がって船体に絡みついている。ハッキリ言って、ド派手だ。むしろ悪趣味だ。

　いやはや、金持ち様のご趣味だなあ。

　正直な感想が喉まで出かかって、危うく俺は呑み込んだ。俺は既に真っ赤な衣装に身を包み、花嫁の身代わりをしているのだ。うっかり今、俺の男らしい美声を運転席に聞かれてしまったら、せっかくのパーフェクトな女装が台無しになる。

　現在、リムジンの後部座席には、花嫁と両親と女性マネージャーと愛犬が乗っている、ということになっている。が、実際に乗っているのは、リプトン夫妻と愛犬のイーグルはいいとして、花嫁は女装した俺で、マネージャーは変装したキャロルなのである。

　俺の女装は、リプトン氏さえうっかり騙されるほど完璧で、というより肌の露出の極端に少ない東洋の衣装のおかげで、中身が誰であるかほとんどわからない。頭からすっぽりかぶったベールに、体は金糸の刺繍を施した赤いガウンを重ねて引きずり、絢爛の帯で締め、指先さえも袖と手袋で覆い隠す。背の高さと横幅が大体同じなら、中身が入れ替わってもまずバレやしない。

　うなじと口元だけが角度によって見えることがあるが、今日はキャロルと同じ赤い巻き毛をピンで結い上げているし、きっちり化粧もして口元には真っ赤なルージュを引いた。まさにパーフェクトなのである。

　いっぽうキャロルのほうは、全身黒のパンツ・スーツで、濃いサングラスで目を隠し、さらにストレート・ブラックのボブ・ウィッグでバッチリ「芸能人のマネージャー」に化けている。ついでにタオルやらウレタンやらを服の下にモコモコ詰め込み、含み綿までして中年太りを装うという念の入れようだ。普段がロックでパンクで目を引くストロベリー・ブロンドなだけに、これがキャロルとはなかなか気付かないだろう。

　ただ、キャロルのバンドを知る者なら、マネージャーの存在自体に違和感を覚えるかもしれない。

　キャロルのバンドは実際には、マネージャーが付くほどメジャーではない。アマチュア・バンドとしてはそこそこ有名で、市の音楽祭なんかには呼ばれたりすることもあるが、いわゆるメジャー活動は行っていないのだ。

　だから、こんないかにもなマネージャーがついている時点で怪しむべきなのだが、迎えに来たリムジンの運転手は何も言わなかった。

　所詮は商売ルート目当ての政略結婚、互いのことはよく知らない、ということか。

　俺の今日の仕事は、新郎には秘密で花嫁の身代わりとなり、真の花嫁を殺人予告から守ることである。が、実はさらにウラがあって、殺人予告は花嫁自身の狂言。縁談をブチ壊すために、ラストには替え玉であることをバラし「大事な儀式で花嫁を間違えるようなヤツとは結婚できない」とキャロルがキメるオチまで予定されているのだ。

　ただ、ラストのオチ部分が実に微妙で、うまく立ち回らないと、俺はリプトン氏の信用を失うことになる。あるいは、この縁談をまとめたほうが今後の俺の財界探偵人生に有益と判断すれば、キャロルのほうを丸め込む必要も出てくるだろう。政略結婚がイカンなどという義憤は俺にはないし、結果オーライで依頼人にご満足いただければ、むしろそれがカーマイン・ブラッド様のやり方なのだ。

　今はまだ、様子見するしかないが。

　思惑は違えど、キャロルもリプトン夫妻も、物思いに耽っているのは同様らしい。リムジンの後部座席はしんと静まり返り、犬のイーグルさえ緊張の面もちを保っている。本当はキャロルの母親であるリプトン夫人の考えも探っておきたかったのだが、いつもの軽口を切り出せる雰囲気ではない。

　ゆるゆると減速し、リムジンが停車する。

　後部座席のドアが開けられ、潮の香りが流れ込んでくる。まずリプトン夫妻が降り、キャロルにつつかれて、俺が先に降りる。

「お待ちしておりました、私の姫君」

　車を降りるやいなや、俺はキザなセリフとともに、手袋越しに手を取られた。

「アーサー・チャンと申します。初めてお会いするのが婚約の席とは厚かましいが、どうか今後私があなたをお守りすることをお許しいただきたい」

　膝を折って頭を垂れる。わざわざ花婿が出迎えに来たらしい。

　顔を上げれば、陽光を遮るほど長身の男だ。広い肩を俺と揃いの赤い婚礼衣装に包み、艶やかな黒髪に秀でた額、切れ長の黒い瞳。ルックスから判断すれば、結構な男前である。

　ただし、微笑した口元と裏腹に、鋭い視線にはまるで隙がない。キャロルが言っていたチャイニーズ・マフィアというのも、あながち冗談では済まないのかもしれない。

「お姿を一目拝見したときから思っておりました、チャン家に代々伝わる琥珀・鳳華を身につけるにふさわしい方だと」

　そして言葉遣いは、時代がかってキザである。こういうのが好きな女には、たまらないだろう。

　だが俺としては、伸びてきた手にベールを取られないよう、身を避けるのに必死だった。

　コイツ、今いきなりベールをめくって俺にキスしようとしなかったか？

　アーサーはクールに微笑して、さり気ない仕草で身を引いた。傍目には、俺たちの間に一瞬散った火花は見えなかっただろう。

　俺に遅れて、変装したキャロルがイーグルを連れて車を降りる。

　瞬間、アーサーがキャロルに目を光らせた。

　キャロルの変装は相当に手がこんでいるから、旧知の仲ならともかく、面識の薄い人間にはまずバレないはずだ。が、俺は直感的に危険を感じ、アーサーの手をぐいっと引いた。注意をキャロルからそらすためである。

「これは失礼、姫君」

　アーサーは、俺に向かって微笑した。どうにも、腹の読めない表情だ。

「ご案内します、どうぞ」

　そのまま、アーサーは何も言わず、俺の手を取って歩き出した。

　単に俺の考え過ぎで、アーサーはまったく気付いていないのだろうか。それとも、何もかも気付いていて、あえて知らないフリをしているのだろうか？

　どちらともつかず、俺はじっと息を潜める。本当は気の利いたカマをかけたいところだが、声を出せば男だとバレてしまう。今回の仕事は、思っていたより厄介らしい。

「ゴールド・フェニックス号へようこそ。この船で婚約の儀式を行うのは、私で三代目になります。祖父の趣味で、少々派手ですが」

　俺の手を取ってデッキを上りながら、アーサーが語りかける。

「古い一族で、様々のしきたりにおつきあいいただくこともあるかもしれません。ですが、もしもキャロル、あなたがノーと仰れば、古いしきたりを壊す覚悟が私にはあります。そして一族のしきたりを壊す権力を持っているのは、私だけです」

　さり気なくだが、口説きにかかっているらしい。随分と自信過剰なセリフだが、これがアーサーのスタイルなのだろう。己の強さを誇示し、その力を女のために使うと言う。面識もない相手にいきなり婚約を申し込む強引さも、周囲をはばからぬ声の大きさも、同じ自信からくるものだろう。実際こういう口説きに弱い女もいる。

　が、今の俺は声を出せない身の上なので、ただ黙って、曖昧に頷くしかない。

　マネージャーに変装したキャロル本人が、俺の後ろを歩いているが、やはり反応はない。花婿のキザな口説き文句に反応する以前に、船の雰囲気に気圧されているようだ。

「あなたの控え室はこちらです、キャロル。ご両親はお隣のコネクトルームをお使いください。出航までまだ間がありますし、お茶でも運ばせましょう」

　ひときわ豪華な船室の前で、アーサーは足を止めた。

「お茶はうれしいね。娘も緊張しているようだし、少しゆっくりさせてもらおうか」

　並んで歩いていたリプトン氏が応じる。

　実際、リプトン一家は過剰に緊張していた。殺人予告を真に受けているリプトン夫妻はもちろん、今回の騒動の仕掛け役であるはずのキャロルも、花婿の予想外の迫力に動揺している。一度体勢の立て直しをはかったほうがよさそうだ。

「それではどうぞごゆっくり。すぐにお茶を支度させます。私は式の準備がありますので、ひとまず」

　アーサーはドアを開いてリプトン一家を船室に入れると、空気を読んだのか、一礼して出て行った。

　ドアが閉じた途端、キャロルがフーッと息を吐き出して何か言おうとする。

　俺はそれを手で制し、まずは控え室内をチェックした。窓の飾り枠、紫檀の調度にあしらわれた彫刻、アンティークな鏡台の裏を調べて、カメラと盗聴器のないことを確認する。

「うん、婿殿は紳士のようですね。無粋な覗き趣味はないようだ。おくつろぎいただいて結構ですよ」

　俺が両手を広げると、リプトン一家が揃ってため息をつく。

「ああん、もう、息苦しいったら！」

　スーツの襟をゆるめて、キャロルはラタンの長椅子に脚を投げ出した。

　いつものキャロルなら、リムジンの中からあれやこれや文句を言いっぱなしだったことだろう。それが今日は、花婿を欺くためにマネージャーなんぞに化けているので、辛抱強く黙っていたらしい。

「そろそろお茶が来るだろう。我々も座っていようか。ウロウロしていたら怪しまれる」

　リプトン氏は相変わらず落ち着かない。娘に殺人予告が出されているうえに、替え玉の花嫁で花婿を欺いているのだから、当然の反応だろう。

「ええ、疲れたわ。キャロル、ちょっと詰めてちょうだい」

　リプトン夫人がキャロルの隣に腰を下ろす。夫人はふくよかな体型で、二人並ぶと、詰め物をして普段の倍に膨れたキャロルとちょうど同じ体型だった。やはり親子である。

「ああ、お二人は少し離れていたほうがいいですね。そうして並ぶとまるで親子だ」

　アーサーの前で、リプトン母娘が並んだ図は見せていないはずだが、あの慧眼をうまくごまかせていたかどうか、気になってくる。今のうちに、少し探りを入れておくほうがいいかもしれない。この後、正体をバラすか、バラさないか、俺自身が判断するためにも、状況把握が必要だ。

「私はちょっと偵察に出てきます。船内の警備体制も確認しておきたいですし」

　俺が言うと、キャロルが立ち上がって引き留めた。

「ちょっと、カーマイン！　あなたいま花嫁衣装を着ているのよ。そんな格好で出て行ったら目立つでしょ」

　俺はウィンクして、指を鳴らす。

「大丈夫。偵察に出るのはイーグル、花嫁は愛犬を追いかけて、船内で迷ったことにすればいい」

　俺の合図に応じて、ドーベルマン犬のイーグルが身を起こす。実に賢い犬である。

　俺はイーグルを先にして、豪華船の内部へ潜入することにした。

◆

　赤をメインに使った内装に、床や天井は黒、随所に金でアクセントを入れている。廊下の角には象牙の彫刻や虎の毛皮が飾られ、素敵なご趣味に目がチカチカする。

　だが案外、パンク趣味のキャロルには合っているかもしれない。うまくすれば、このまま婚約の儀式をすすめるよう、キャロルを説得できないだろうか。

　もしキャロルがアーサーを気に入って、正体をバラさずに済むのであれば、いちばん楽そうである。逆に言えば、バラすとどうにも厄介そうな相手なのだ、アーサーは。

　俺の先を行くイーグルも、そのへんを心得ているようで、アーサーに出くわさないルートを選んでくれているようだった。人気のない船内の階段を最上階まで上り、乗船口を見下ろせる窓のそばで立ち止まる。懐に忍ばせていた小型のオペラグラスを出し、俺はベールの下から甲板の様子を観察した。

　あらかじめ、チャン家にも極秘で手配した警備要員は、招待客に紛れて、既に船内の指定位置についているようだった。まあ、実際には殺人予告は偽で、無駄な警備体制ということにはなるが。

　乗船口では、順次招待客の受付をしている。先方の親族は豪華な刺繍の民族衣装が多く、一目でわかる。いっぽうキャロルのほうの招待客は、ロックでパンクな衣装をした若者が多い。一見まともなブラックスーツを着ていても、トゲのついた首輪を巻いていたり、髪型がモヒカンだったりする。それらが交互に乗船して赤と黒の船上を行き交う様は、どうにも異様だった。

　やれやれ、どっちもいいご趣味だ。

　俺がうっかり呟いた瞬間、脇に控えていたイーグルがピンと耳を立てた。立ち上がり、あたりの様子を注意深く窺う。

　誰かが、階段を上ってくる。

　かすかに聞こえる足音に、俺はとっさに隠れる場所を探した。が、あいにくと、身を隠すのに適した場所はない。

　俺はいま、花嫁に化けている。誰かに見られたところで、別に困ることもないのだが、アーサーと対面する事態だけは避けたかった。こんなところで何をしているのかと聞かれたら、たとえイーグルを連れていても、あの鋭い目を誤魔化しきる自信がない。何しろ、俺は声も出せないのだ。

　とりあえず、控え室に戻るほうが懸命だろう。

　廊下を突っ切って、反対側の階段をめざす。階段の足音は確実に階を上ってくる。招待客は甲板か一階の式場に集まっているはずで、船室の上の階まで上って来るのは、チャン家の人間である可能性が高い。

　足音の主は、アーサー本人か、それ以外の親族か、あるいは。

　ふといやな考えが脳裏をよぎる。

　殺人予告は偽だったはずだ。キャロルがハッキリ狂言だと言っていた。だが、可能性として、ありえないわけじゃない。チャン家の財や伝統はどうも予測を超える巨大さで、親族間の相続争いや、外部からキャロルのような奔放な妻をめとることに反対があったとしても、不思議ではない。だからこそ、リプトン氏も偽の殺人予告をあっさり信じたのだ。

　足音は階段を上りきり、こちらに向かってくる。不自然な早足は、あきらかに俺を追っている。

　尾行には気付かないふりで、俺はわざとゆっくり歩いた。もし不用意に足を早めれば、相手も逃がすまいと必死に追ってくるだろう。逆に今はゆっくり歩いて時間を稼ぎ、相手の死角となる階段で、素早く姿をくらますべきだ。

　長い裾の中で、足がもつれそうになる。女物の服というのは、どうしてこうも動きにくいのか。自分の歩みに合わせた衣擦れが、やけに高く聞こえる。まだまだ遠いはずの相手の足音が、振り向けばすぐそこにいるのではないかと錯覚する。

　まるでホラー映画のヒロインにでもなったような気分だ。ヒロインならラストまで生き残れるが、脇役に過ぎなければここであっさり殺されるパターンだ。じっとりと、冷たい汗が手ににじむ。

　階段まで、あと十歩。角を曲がったら、すぐに走って、下の階のどこかの部屋に飛び込むか、一気に人の多いパーティー会場をめざすか。

　イーグルが爪音を立てながら先に階段を下りて行く。イーグルはこのまま、キャロルの待つ控え室へ戻るつもりだろう。あるいは、イーグルがおとりになってくれるかもしれない。

　さらに階下へと降りていくイーグルの背を見送って、俺は一つ下の階に逃れた。手近にリネン室の表示を見つけ、とっさに飛び込む。

　幸いリネン室は無人で、俺は薄暗い棚の陰でほっと息をつく。さすがに、リネン室に入ったところまでは見られていまい。

　ところが。

　足音は階下へ遠ざかるのではなく、何故かこの階に立ち寄った。まっすぐこちらへ近づいてくる。

　しくじった。このままでは袋のネズミじゃないか。

　少しでも動きやすいよう、俺は片手で裾をまくり上げた。もう片方の手には、ノリの効いたシーツを握る。武器とは言えないが、相手の目を塞ぐくらいには使えるだろう。半開き状態の扉の陰に身を潜め、息を詰める。

　足音の距離は、あと三歩、二歩、一歩。

　次の瞬間、実に不用意に、敵はひょいとリネン室を覗いた。先ほどまでの緊迫感が嘘のような、うかつな登場である。

　俺は脇からそいつの頭にシーツをかぶせ、ヘッドロックで首を絞めながらリネン室の奥に引きずり込んだ。格闘には本来自信がないが、コイツには勝てる気がしたのだ。

「何者だ？　残念ながら俺は花嫁じゃないぜ」

　低く誰何する。オイオイ、これじゃまるで探偵活劇だ。

「はっ、はなしてください、カーマイン！」

　だが、敵の反応は実に間抜けで、意外な声だった。おまけに俺の名前まで呼びやがる。

　首にかけていた腕をはずし、シーツをどける。乱れた黒髪に黒い瞳、スラリとした鼻筋に、ズレて引っかかった銀縁メガネ。俺が捕まえていたのは、見飽きるくらい見慣れた顔だった。

「……アカシ？」

　まったく想定外の同居人の登場に、思わず俺も間抜けた声を出す。

「何なんですか、もう。声をかけようとしたら逃げるし、やっと立ち止まってくれたと思えばいきなりコレですか」

　アカシはぶつぶつと文句を言いながら、メガネをかけ直し、乱れた髪をなでつけた。

　……何でコイツがここにいるんだ？

「こんなところで、いったい何をしているんです、カーマイン？」

　スーツの襟を整えながら、俺とまったく同じ疑問をアカシが口にする。

「お、お前こそ、脅かしやがって！　いったい何で」

「仕事ですよ。先週から社の金庫でお預かりしている琥珀がありましてね。それを今日の儀式に使うそうで、お届けに。何しろ博物学的に大変貴重な琥珀で、いろいろ扱いがデリケートですから、セキュリティ部隊にくっついて、私もお邪魔したわけです。儀式が終わったら、すぐに社の金庫に戻しますし」

　忘れていたが、コイツは財団ＲＥＤお抱えの研究員で、鉱物マニアなのだった。たまには白衣を脱いで、宝石を保管・護送するような仕事もするらしい。

「俺も仕事だよ。花嫁護衛のために、身代わりやってる。極秘なんで、黙っていて欲しいんだが」

　ややこしい事情はぼかして、俺は説明した。殺人予告だの狂言だのは、コイツに伝える必要はないだろう。俺の正体を、黙っていてくれさえすれば。

「花嫁の身代わりですか。なるほど、それで」

　アカシは改めて俺の姿を見て、目元だけで笑った。華やかな刺繍の東洋の婚礼衣装に、結い上げた髪、唇には真っ赤なルージュを引いている。

「お似合いですよ、カーマイン」

　口元にこみ上げる微笑を手で押さえて、アカシは素直に賞賛した。

　実際、自分でも怖いくらい似合っていると自負している。俺は昔から女装含む仮装に抵抗はないし、何を着ても麗しく見える美形は、すすんであらゆる服飾文化を体現するべきというのがモットーだ。ゆえに今の俺は、どこからどう見ても長身迫力の美女なのである。

　が、ふと一つ疑念が浮かんだ。

「ちょっと待て、アカシ。何で俺だと気付いた？」

　今の俺は、繰り返すが美女に化けている。豪華な花嫁衣装を身にまとい、ちらりと覗くうなじはともかく、顔にはベールをおろしている。普通ならば、中身がまさか俺だとはわからないはずなのだ。現にリプトン氏は、俺をキャロルと間違えた。

　それが何故、アカシにバレている？　無論、契約上の守秘義務で、俺は今日の仕事のことを一言も同居人のアカシに話したりしていない。

「何でって……船室の窓にあなたを見かけて、それで」

　アカシはきょとんとしている。

「そうじゃない。俺は今、花嫁に化けて、顔も隠してる。なのに、何で俺だとわかった？」

　もしも、一目で俺とわかってしまうチョンボがあれば、マズイのだ。花嫁が替え玉だということは、まだチャン家に知られてはならない。

「ああ。それは、わかりますよ、何となく」

　質問の意味は解したようだが、アカシの答えはまだ要領を得ない。

「何となくって、そんなパッと見てわかるものなのか？」

　問いを繰り返す俺に、何故かアカシはニヤリと微笑した。

「ああ、大丈夫ですよ、カーマイン。私以外の人間には、まずわかりません。私がわかるのは、私があなたに誘惑された人間だからです」

「ゆ、ゆうわくぅ？　誰がいつ？」

　予想外のアカシの言葉に、俺は思わずオウム返しする。この科学者ときたら、時に恐ろしく夢見がちなことを言いやがる。

「いつでもですよ、カーマイン。私を魅了する、目には見えないエネルギーを、あなたには発しているんです。フェロモン、チャーム、テンプテーション、言葉にもなっているでしょう？　あなたはこうした概念を実感できないタイプかもしれませんが、ごく一般的なことですよ」

　きわめて冷静に、アカシは断言した。

「だから私には、あなたがいつもと違う服を着ていても、女装でも厚化粧でも、たとえば全身着ぐるみを着ていたって、何となくわかるんです」

　真正面から言われ、むしろこっちが赤面しそうになり、気まずさに目をそらす。そうだった、俺には到底理解できない世界が、この男の中にはあるのだ。

「……たまには、こんなあなたも素敵ですね。さすがに赤がよく似合う」

　うっとりとした視線が絡みつき、両の頬に手がかかる。俺は慌ててアカシの手を振り払い、近づいてくる唇をグーで押しのけた。

「花嫁の身代わりに気軽に触るなっつの！　お互い仕事に戻ろうぜ。頼むから秘密にしててくれよ。じゃな、お先」

　アカシの横をすり抜けて、ベールと裾をなおしながらリネン室を脱出する。まったく美女というのは、アーサーといいアカシといい、隙あらば男にキスされそうになって不便である。

「カーマイン……」

　未練たらしい声が追いかけてきたが、俺は無視してリネン室の扉を閉じた。中は真っ暗だろうが、少し間をおいて出てきてくれないと、人に見られたときに面倒だ。まあ、人々は甲板や一階のパーティー会場にいて、階上に人気はないのだが。

　ボーッと汽笛が鳴り響く。いよいよ出航の時間なのだろう。

「さて、仕切り直すか」

　俺は戦場となるだろう階下をめざし、階段を下りた。