それが、今回の依頼の内容だった。もう少し正確に言えば、花嫁の身代わりを演じて、殺人予告から花嫁を守る、というものだ。

　普段なら、即座に断っている依頼である。俺はカーマイン・ブラッド、財界に広くその名を知られる探偵だが、大金持ちのペット探しや、有閑マダムのボディガードという名の話し相手が仕事のほとんどで、暴力が想定されるような荒っぽい仕事は一切しない。

　しない、というより、能力的にできない、のだが。カーマイン様の武器である、この甘いマスクと、マダムを楽しませる巧みな話術と極上のテクニックは、そんな野蛮な用途には使わないのだ。

　宝石商の社長令嬢・キャロルのもとに、殺人予告が届いたのは、昨夜だという。

　予告状は古風な巻紙スタイル。文字自体に呪いがこめられたような墨書きで、「殺」だの「誅」だの、凶々しい東洋の漢字が羅列されている。文章の意味を推測するに「一族の家宝を奪う異国の女を殺す」おそらく結婚相手の親族による、花嫁の殺人予告である。

　だが犯人の確証はない。多分に政略要素の絡んだ結婚で、両家は微妙な緊張関係にある。まさか相手方に心当たりを聞くわけにもいかず、かといって花嫁を危険に晒すわけにもいかず、内々に警備体制を敷き、身代わりの花嫁を立てようという筋書きである。

　筋書き、というからには、描いた人間がいる。当の花嫁・キャロル本人である。

「だいたいね、あたしは結婚なんかしたくないの。なのにパパったら、勝手にオーケーしちゃって、あたしは相手の顔も知らないのよ！」

　キャロルは憤慨し、怒鳴ってテーブルを叩いた。

　周囲に聞こえるんじゃないかとこっちのほうがヒヤヒヤするが、ここは防音設備の整った音楽スタジオ、父親の住む母屋と同じ敷地内にあるとはいえ、話し声が洩れる心配はないだろう。俺はキャロルに呼び出されて、こっそりこの離れに忍び込み、秘密の依頼を聞いているというわけだ。

「だからねカーマイン、この縁談ぶち壊してやりたいのよ！」

　力強く、キャロル嬢は宣言した。振った頭のてっぺんで、赤い巻き毛が火山のように噴火する。

　一応、社長令嬢という身分ではあるものの、彼女のルックスはおよそ一般的な「社長令嬢」とはかけ離れている。六フィートを超えるモデル並の長身に、巻き癖の強い、華やかなストロベリー・ブロンドはいいとして、それを高く真上に結い上げ、根本に真っ黒な薔薇を挿している。首にはシルバー・ドクロの革チョーカーを巻き、肩も露わなブラック・レザーのコルセット・ドレス、ボーンで大きく広がったアシメントリー・スカートからは、鎖模様の編みタイツが生え、金属のトゲだらけのゴツい厚底靴につながっている。

　簡潔に言うなら、ロックでパンク。実際、彼女はロック・バンドのボーカリストなのだ。

「あたしはロック・スターになりたいの。スポンサーはいるけど、ハズバンドなんかいらない。この前もそう言ってドラムのニックをフってやったわよ」

　気の毒に、ニックとやらはこの論理でフラれたらしい。ハズバンドとしての資質はともかく、スポンサーたるだけの資力がなかったということか。

　しかしすると、彼女はスポンサーなら受け入れるのだろうか。ふと疑念がもたげたが、ロックなシャウトに言葉を挟むほど無粋ではない。

「相手は香港の大財閥の首領らしいけど、チャイニーズ・マフィアなんてイヤよ！　どうせパパの宝石売買ルートが目当てでしょ、しかも琥珀専門だなんてダサイ」

　俺の心の中の疑問に、彼女はさっと答えてくれた。どうも金持ちでもダメらしい。要は、気分が乗らないのだ。

　矛盾だらけの彼女の剣幕に、俺は逆らわず相槌を打ちながら、彼女の愛犬の首をのんびり撫でた。

　このタイプの女性とうまくやるには、話半分に聞き流してじっと待つ根気と、彼女の機嫌の上下を鋭く察する機微が必要である。ドーベルマンのイーグルは有能な番犬だが、キャロルの機嫌を読むことにかけても実に優秀である。フラれたニックとチャイニーズマフィアとやらは、そのへんの心得不足だったのだろう。

「しかも、婚約に際して一族のしきたりがあるなんて、古くさい！　婚約の儀式は船の上で行い、家宝の琥珀を新郎から新婦に渡すそうよ。エンゲージ・リングが琥珀なんて興ざめね！」

　握り拳のキャロルの指には、黒い爪とチョーカーとお揃いのシルバー・ドクロが光っている。とりあえず、琥珀なんて化石は趣味に合わないだろう。

「それであたし、偽の殺人予告を作ったのよ。やつには内緒で身代わりの花嫁を仕立てて、ここぞという場面でバラしてやるわ。そして言うのよ、あたしを男と間違える人となんか絶対に結婚なんかしないわ！ってね」

　それはたしかに、縁談を決定的にぶち壊す演出だろう。なかなか手の込んだ、痛快な筋書きを考えるものだ。

　俺はパチパチと拍手をして、はたと思い当たる。

「で、その花嫁の身代わりの男ってのが俺か？」

　キャロルは頷いて、俺の両手を取った。

「そうよ、カーマイン！　パパは女性のボディガードを探しているけれど、それじゃあインパクトが足りないし、身代わりバラしに協力してもらえないわ」

　わざわざキャロルが俺を呼んだわけだった。まともな探偵なら、こんな妙ちきりんな依頼は受けやしないだろう。

「ええと、俺がドレス着るんじゃ、バラす以前に一目でバレないか？」

　素朴な疑問に、キャロルは自信たっぷりに親指を立てた。

「大丈夫！　あたしがヒールをはけばカーマインくらいの身長になるし、花嫁ドレスじゃなくて、ガウンを何枚も重ねたみたいな民族衣装を着るのよ。顔をベールで隠したら、バレやしないわ！」

　なるほど言われてみれば、俺はあつらえ向きの身代わりなのかもしれなかった。ついでに、髪も彼女と同じ巻き毛の赤である。

「さあ、今からパパの前で身代わりを引き受けると言って、カーマイン！」

　俺は数秒考える。

　つまり、最初からキャロルによって仕組まれたニセの殺人予告のために、花嫁衣装を着て花嫁のフリをするという愉快な勤めを果たせば、報酬が手に入るわけだ。当然、暴力沙汰や命を狙われる危険はゼロだ。

　最後に正体をバラすかどうかは、キャロルよりむしろその父親や、相手方の反応を見ながら、この縁談の成否が今後の財界探偵人生に及ぼす影響をじっくり考えるとして。

「オーケー、引き受けた。キャロル」

　俺はにっこり笑って、色好い返事をした。

　がっちり手を握る二人の足下で、番犬のイーグルは可愛らしく首を傾げていた。

◆

　リプトン氏は、相当に取り乱しているようだった。普段まるまるとしている頬は心もちこけ、寝不足らしい目が血走っている。一人娘に殺人予告があったのである。無理からぬことだろうが。

「キャロル、お前の幸せのためと思った縁談がこんなことになるなんて。ああ、どうしたことか」

　部屋に入るなり、リプトン氏はヨロヨロこちらへまろび寄ってきた。

「ああ、私の大切なキャロル。こんなに大きくなって、異国の花嫁衣装を着るなんて」

　言いながら、リプトン氏は俺の両手をぎゅうっと握り、そのまま抱き寄せてしかと抱擁した。キャロル嬢と俺を取り違えるとは、いくらなんでも取り乱し過ぎじゃないか？

「ベールを取って、顔を見せておくれキャロル」

　俺をしっかりと抱え込んだまま、リプトン氏は赤い薄布のベールをペロリとめくりあげ、ぎゃあっと叫んだ。こんな男前を見てぎゃあとは、まったくもって取り乱している。

「替え玉合格ね、カーマイン。パパがこんなにあっさり騙されるなんて、ちょっとショックなくらいよ」

　クロゼットから現れたキャロルが、冷ややかに宣言する。彼女は黒のコルセット・ドレスにトゲトゲ靴の、パンクロックな姿のままだ。

「ごきげんよう、リプトンさん」

　膝を折って、俺は優雅に貴婦人のお辞儀をした。衣擦れに、幾重にも紗を重ねた裾がふわりと広がる。

　つまりは俺が、花嫁衣装を着て、キャロルのフリをしていたというわけだ。

「ブ、ブラッドくん！？」

　気の毒なリプトン氏は、俺を放り出して壁にすがった。

「見事な替え玉でしょう、パパ。あたしの身代わりはカーマインが引き受けてくれるわ」

　キャロルがため息混じりに、腰を抜かしたリプトン氏をソファに誘導する。

「う、うむ、何というか、化けたものだな」

　リプトン氏はハンカチで額の汗を拭き、何度も瞬きした。

　まあ、リプトン氏が勘違いするのも無理はない。ここはキャロルの部屋で、花嫁衣装は本物で、顔をすっぽりとベールで覆い、肌の露出も全身ほとんどないときている。長い裾の内側には男物の革靴が隠れているが、身長はちょうどキャロルがヒールを履いたくらい。化けたというより、隠れたというほうが正しい。実に替え玉向きの衣装なのだ。

「カーマインのサイズでぺたんこの靴を探してきましょう。あとは髪を結って化粧をすれば完璧よ」

　このうえ、髪をいじって化粧までするのか。まあ、並の男と違って、絶世の美女に化ける自信が俺にはあるが。

「パパ、予告状はある？　カーマインに見てもらいましょうよ」

　キャロルは強引に、俺を身代わりにする前提で話を進めるつもりらしい。愛娘を男と間違えたリプトン氏は、グウの音も出ないようだ。

「そうですね、身代わりをする以上は見ておきたい。拝見できますか？」

　花嫁姿のまま、俺はリプトン氏の正面にどっかりと腰を下ろした。これではもう、断れまい。

「これだ。昨夜、無記名の郵便で届いた」

　リプトン氏は内ポケットから、棒のようなものを取り出した。端の紐をつまんで引くと、細長い紙になった。紙を巻いて、棒状にしてあったのだ。

「……ほう、これは」

　瞬間、俺は吹き出しそうになって口を押さえた。

　目の粗い、繊維の粒が残った味わい深い紙の質はいいとして、そこに書かれた文字がひどい。黒々とした東洋の墨インクで、あちこちにインクじみの玉を飛ばしつつ、稚拙な文字が書いてある。

　俺は東洋の文字には詳しくないが、一目でヘタクソとわかる文字である。左右のバランスが崩れ、どうも線や点が一つ二つ足りないようで、線を引く方向もたぶん違う。いわゆる「外国人が書いた文字」で、キャロルが四苦八苦しながら書いた様が目に浮かぶ。

「見るからに、アレですね」

　曖昧な感想でごまかし、俺は口の両端を下向きにをひん曲げた。そうしないと、笑ってしまいそうだったからだ。

「見るからに呪わしいだろう！　この文様の浮き出た紙、黒いシミ！」

　リプトン氏は、こんなものに本気で騙されているようだった。宝石鑑定には厳しいと評判のリプトン氏も、娘が絡むとまったく甘いらしい。

「ああ、奴らどんな手段でキャロルを殺そうとするかわからん。ピストルや毒なら防御の手段もあろうが、呪いや魔術だったらどうすればいいのか。きみは大丈夫なのか、ブラッドくん」

　なるほど、リプトン氏はこの稚拙な悪戯が、まさかキャロルの自演だとは知らないので、得体の知れないうさんくささも相乗効果で不気味に見えるらしかった。

　まともに人を殺そうと思ったら、こんな馬鹿げた殺人予告はまず出さない。この殺人予告は異常なのである。

　俺は肩をすくめて、笑顔で請け合った。

「相手の出方がわからないので、大丈夫と断言はできませんが、何とかします。こう見えて、ゴーストバスターにも経験もありますし。場合によっては奇天烈なゴーストグッズが必要になりますが、経費のほうをよろしくお願いします」

　相手の出方も何も、本当はこれはキャロルの自演なのだ。何かが起きるわけもない。ゴーストバスターのくだりは、実際に経験があることはあるのだが、単にリプトン氏に合わせて、経費をふんだくる布石を打っただけである。

「私のことより、まずはお嬢さんの安全を第一に考えましょう。相手がどう出るかわからない以上、ご自宅で留守番というのも危ない。婚約の儀式は、船上で行われるんでしたっけ？」

　素早くキャロルと目を合わせる。キャロルの依頼である正体ばらしをやるためには、本人がその場にいなければならない。

「私も行くわ、パパ。控え室にでも隠れているから」

「それじゃあ、船での警備をもっと増やさなければ。ブラッドくん、どうすればいいだろう」

　勇敢な娘の申し出に、リプトン氏は涙目になっている。心配なのだろう。

　さすがに氏への同情を禁じ得ないが、キャロルが言うには、娘の気持ちも聞かずに縁談を決めたことへのこらしめなのだそうだ。まったく、機嫌を損ねたら大変な女王様である。

「では、式次第等の詳細をください。私のほうでお嬢様の警備計画を考えましょう」

　かくして俺は、何とも奇妙で愉快な、花嫁代理の仕事を引き受けたのだった。