いつものように、ポニーテールに結えば、しっぽが短くなるのだろうか。

　私は彼女の、やわらかいねこっ毛が揺れるのが好きだから、少し惜しいと思う。

　……私には、そんなふうに切る髪さえ、ないのに。

　洗うのも結うのも面倒で、傷んだ髪の手入れなんて優雅な真似もさらさらできないから、いつも短く揃えている。いつもの美容院のいつもの席で、三ヶ月に一度、さしたる感動もなく。

　可愛いと褒めてくれる人もいるけれど、それは美容師さんのセンス。私は一度だって、自分の髪型を考えたことはない。

　……だから、そんなふうに切る意味さえ、思いつかない。

　彼女にとっては、日に数度ブラシをかけ、バラの香りのトリートメントをし、高く結い上げると首をかしげるために首筋をくすぐる、大切な髪なのだろう。

　アイデンティティでさえ、ありうる。

　髪をおろすと、ふんわりやさしくう肩口を包みこむ。どこか男の子のような言葉づかいと、その長身から、普段はそんなに女っぽくも見られない彼女は、それだけで急に女らしく、私が妬むくらいに艶っぽくなる。

　……その髪をすいて、肩を抱いてくれた人も、あったのだろう。

　私は上目遣いに、ニットのふくらみの上で遊ぶ、無残に断ち切られた毛先をにらんでしまう。

「ゴメン、ね」

　困ったような笑いをにじませて、彼女は少しおろおろと言った。

　私は彼女の胸から、うつむいたままの彼女の前髪へと視線を移し、できうる限りやさしく否定する。

「そんなことないわ。このハーブティー、ほんとにおいしいもの。来てよかったわ」

　最近彼女の部屋で収穫したのだというハーブは少し苦く、ひと匙のはち蜜は甘く、本当はすっかり冷めていた。

　お茶をいれてもらって、二人でテーブルをはさんでから、もう三十分が過ぎている。

　彼女はときどき言いわけをしつつ、けれど言いたいことは何も言えずに、うつむいたままだ。

　こんなとき私は、彼女のくちびるをゆるめる魔法を持ちあわせていない。

　できるのは、やさしく、まるで偽善者のようにやさしくなだめて、待つことだけ。

　以前はそれがとてもつらかったが、今ではすっかりひらきなおってしまった。こういうときに彼女が呼ぶのは、他ならぬ私なのだ。他のなにかを望んでいるのであれば、きっと私を呼んだりしない。

　冷めたような思考の一方で、私のからだは細胞のひとつひとつに至るまでやさしくなる。同情や自己満足さえ承知の上で、彼女をいたわろうと思う。気配すら、やさしく。

　彼女がまた、言いわけする。

　私はゆっくりと首をふって、そんなことないよ、とうつむいた彼女の顔をそっとのぞきこんだ。

　彼女は逃げるように、ぎゅっとうつむいた。はずみに、ぽとり、テーブルになにかが落ちる。

　ごめん、と彼女は本当に狼狽してあやまる。亜美ちゃん、あたし……と。

「いいよ、まこちゃん。いいよ」

　いいよ、とくりかえすと、彼女は堰を切ったように、しゃくりあげる。

　指先に触れたままで、まこちゃん、いいよ、と小声で呼びかけながら、私は待った。

　彼女はたいてい、五分も待たずに落ち着く。

　まるで涙なんか流さなかったように、それこそけろっと、うつむけていた顔を上げる。

「ごめんよ、びっくりしただろ？」

　意識的に男っぽい口調にしているのか、あはは、といういつもの照れ笑いには、涙の名残もない。大仰に頭をかくと、短くなった毛先が揺れる。

　そこで私も少し笑って、聞かずともわかる事情を聞いてやる。鼻の頭が赤いことには気づかないふりで。

　事情は決まっていつも、先輩のことを思い出したとか、誰かに嫌われたんじゃないかとか、失恋したとか。

　亜美ちゃん、ちょっと寄っていかない？　おいしいお茶があるんだ。

　そう、ためらいがちに声をかけられたときに、私にはわかっていることで、けれど、私にはたぶん理解できないこと。

　だから私は、かつて彼女が私にしてくれたように、逃げちゃダメだと叱ったり、ガンバレと明るく励ましたりは、絶対にしない。できない。

　最初から最後まで、やさしく、うなずくだけだ。

　そして私は呪文をくりかえす。冷たい指先をそっと握って。

「大丈夫よ、まこちゃん。私まこちゃんのこと大好きだもの。みんな、まこちゃんのことが大好きよ。大丈夫……」

　たぶん、まったくの偽善に過ぎないと、冷めた思考が笑ったとしても。

「ひきとめってゴメン。もう遅いから泊まっていきなよ」

　彼女の言葉に、母も夜勤でいないはずの家に帰る気も起きず、私は甘えることにした。

　彼女はかいがいしくお風呂を沸かし、洗いたてのパジャマを出し、客用の布団を敷いてくれた。まるで世話焼きの母親で、私はされるがままに寝かしつけられている。

　……私が泣いてたみたい。

　何かと気遣ってくれる彼女の手をくすぐったく感じながら、苦笑がこみあげる。

　けれど、ゆるく規則的に聞こえはじめた寝息のほうを見やると、ベッドの上の彼女は子供のようだった。

　青い闇の底、こちらに背を向けて、長い肢体を掛け布団の下に小さく丸めている。浅い吐息は、なにか恐ろしいものから身を潜めようとするかのように感じられる。

　なにが恐ろしいのか、私にはわからない。

　私には見えない、私には理解できないもの。小さな子供がいたずらに夜を怖がるように、彼女はその身を縮めているのだろうか。

　私はそっと、布団を抜け出した。

　這ったまま、彼女の枕元に移動する。

　眠っている彼女の横顔に、ブラインド越しの月光がストライプを落としている。

　表情は見えないが、少なくとも子供の顔ではない。年の分だけのみこんできたいくつもの想いが、けれどやわらかな陰影を描くのだ。

　くちびるはあるいは、微笑さえ浮かべていたかもしれない。

　けれど私は、神々しく光を浴びている彼女の耳にそっとくちづけしただけで、それをたしかめようとは思わなかった。

　きちんと切りそろえられた栗色の髪が、闇の中でもひどく胸に痛くて、私はまた、呪文をささやく。