俺は朝から、七ケ所のクリスマス・パーティーをハシゴした。まあ、財界御用達探偵のカーマイン・ブラッドとしては、必要な営業ってところだ。

　随分早い時期から、クリスマス・パーティーの話を聞けば必ず招待状をもらうようにしていたし、招待状をもらえなかったところでも、無敵の営業用スマイルで受付嬢をたらしこんだりしてもぐりこんだ。

　賑やかなパーティー会場にさえもぐりこめれば、俺はちょっとした華になる。クリスマスにふさわしい赤い巻き毛、常に頬笑みを絶やさない甘いマスク、軽妙な話術と、テクニカルなダンス・ステップ。財界人が財力を競って見せびらかゴージャスなパーティーには、俺のような彩りは必要不可欠なのだ。

　同性の反感を多少は買うものの、女性陣の取り成しで険悪なムードになることはまずない。実際パーティーを支えているのは、主催である紳士諸君よりも、華やかなドレスをひらめかせる淑女たちの機嫌である。

　なおかつ、所詮は卑しい探偵稼業と蔑んで済ませられるのが俺の便利なところである。自分で言うのも悲しいが、財界で探偵なぞやっていようと思ったら、腕を磨くよりも処世術を身につけるほうがはるかに身のためだ。カッコよくも憎めない道化役に徹することができれば、明日は楽な割に支払いのいい仕事にありつける。

　そのためなら、俺はいくらだって踏みつけにされながら愛想を振り撒く。それに、うまいもんをタダで飲み食いできるというおまけがつくのがパーティーの楽しいところだ。

「ねえ、カーマイン」

　ふと気付くと、一人の令嬢が俺の傍らに寄り添っていた。

　淑女らしい距離を取っているので、身体こそ接触していないが、大胆なカッティングの襟ぐりから、やわらかそうな谷間がちょうど見下ろせる位置にある。

「これはこれはシンディ嬢。今宵はまた一段と美しい。赤いドレスが燃え上がる炎をまとったようにエロティックですね」

　シラフで聞いたら噴き出してしまいそうな時代がかった社交辞令を、俺はオーバーアクションでぺろりと述べる。七つ目のパーティー会場で、既にかなり酔っていた。

「もう相変わらずね。ねえ、ちょっと着いていらして」

　シンディ嬢も酔っているようだ。シラフで聞いたらシラけそうな社交辞令にウフフと笑い、腰のあたりを微妙にくねらせ、彼女は俺の腕を引いた。

　この展開は、アレだ。短調なパーティーに退屈した令嬢がスリリングな刺激をご所望なのだ。

　令嬢はごった返すパーティー客の間をくねくねとすり抜け、廊下に出た。今夜のパーティーは、彼女の父親が高級ホテルのパーティー会場を借り切ったものだ。外の廊下は時折人が行き交う他は、会場内の喧騒が壁越しに伝わるだけの静けさである。

　廊下の隅の、クリスマス・イルミネーションを巻きつけた鉢植えの裏に回り込み、シンディ嬢は嫣然と俺を振り返った。

「ねえ、カーマイン。どうして私のところへダンスを誘いに来てくださらなかったの。私、退屈で死にそうだったわ」

　責めるような口ぶりだが、瞳はキラキラと濡れて俺を見つめている。

「だってあなたはいつも上流階級の殿方に囲まれていたでしょう。それに……あなたを遠くから見つめているだけで、この身が燃え焦がれてしまいそうだったからですよ、シンディ」

　単に他の財界人の紳士・淑女に愛想を振り撒くのに夢中で、十七のお色気娘のことなんかすっかり忘れていたのだが、俺は歯の浮くようなセリフを吐いてじっと彼女を見つめた。間違ってもまばたきなんぞしてはいけない。視線は決して外さずに、彼女の瞳だけを覗き込み、眩しいものを見るように少しだけ目を細めるのがこういうアホなセリフを信じさせるコツだ。

「そんなに赤い髪をしているのに、弱虫なのね、カーマイン」

　令嬢は唇を尖らせて、さらに俺をなじった。俺は視線を外してうなだれてみせる。下唇をそっと噛むのがポイントだ。

「お願い、私の炎に飛び込んでいらして」

　ふわりと、俺の腕に赤いドレスが飛び込んできた。オイオイ、逆じゃねえかと思いつつ、タイミングよくそれを受け止める。腕の中で仰向いた令嬢のまぶたは、もう閉じられている。

　後はもう、簡単だ。密着した体のやわらかさを楽しみつつ、真っ赤なルージュに唇を合わせる。はじめはロマンティックに、次第に激しく貪るように。財界御用達探偵はキスのテクニックも超一流に磨き上げてある。

　この令嬢とのキスは今回が初めてではない。ハロウィン・パーティーで知り合ってから、こうした馬鹿げた遊びはもう何度もしている。

　それにしても随分と上達しやがったな、小娘め。相当遊んでいやがる。もう家まで帰るのが面倒くさいから、今夜はどこかで退屈している未亡人のベッドにでももぐりこもうと思ったが、案外シンディ嬢がこのホテルのどこかに部屋を取っていないだろうか。

　などと思い始めたとき。

　突然、襟首を後ろに引かれた。身体が一瞬宙に浮き、目を開けると電飾だらけの深緑色が眼前に迫っていた。慌てて顔を庇った腕ごと、ヒイラギの鉢植えの中に俺は放り込まれる。

　パチッと小さく火花が散る。俺が突っ込んだ勢いで電飾コードがショートしたのだろう。

「お嬢様に、何してやがる」

　野太い声が、頭上から降り注いだ。顔をねじけて振り返ると、ヒイラギのギザギザ葉の向こうに、やたらガタイのいい黒服が見え、二メートルは超える高さからハゲ頭が凄んでいた。

「お嬢様。旦那様がお呼びですよ」

　黒服はどうやらもう一人いるらしい。シンディ嬢が声も出せずに強引に連行されていく。

　しくじった。令嬢のキスのテクニックがあまりに上達していたので、そっちに応じるあまり、背後への警戒を怠っていた。

　お嬢様が退場したところで、もう一度後ろ襟を引っ張られる。ヒイラギの葉で顔やら首筋やらを擦りながら俺は植え込みから引きずり出され、空中にぶらりとぶらさげられた。

「卑しい探偵風情が。さっさと帰れ」

　そのまま俺は宙に浮いたままホテルの廊下を連行され、それこそ猫の子のように裏口から放り出される。

　放物線を描いて着地した先は、うっすら積もった雪だった。今朝はやんでいたはずの雪が、パーティーの間にまた本格的に降り始めたらしい。さらにその上に、俺のコートとマフラーが降ってくる。

「次に見かけたら承知しねえぞ」

　ハゲ頭がゴリラのように咆哮し、バタンとドアが閉まる。仮にもパーティー客にこの仕打ちはないだろうと思うが、俺に関しては圧倒的に立場が弱い。向こうが多少の礼を欠いたところで、所詮こっちは仕事を一方的にもらうだけの身分なのだ。

　あきらめて立ち上がり、身体についた雪を払う。

　払ったところで、後から後から雪は降りそそぐ。既に溶けた雪が、ズボンの膝にしみている。マフラーを首にひっかけ、安物のコートを着たところでさして温かくはない。

「クソ、覚えてろ」

　俺は実現可能性の著しく低い復讐を胸に誓い、ホテルを離れた。

　ここ数年まれに見る、最悪のクリスマスだった。

◆

　都会の雪は中途半端だ。積雪防止に熱を帯びた歩道タイルに溶けて流れて、ジワジワと縫製の粗い靴にしみてくる。

「最悪だな、クソ」

　赤毛をブンブンと振って、雪を払いながら俺は毒づく。もちろん誰も聞いちゃいない。そろそろ深夜零時になる頃だ。クリスマスの街はそれぞれの楽しみに夢中で、シケた面で歩く不幸な美青年なんかに気付きやしないのだ。

　今日のところは、暖房のイカレかけたねぐらに戻るしかないか。

　考えて、うんざりする。ここから俺のアパートまでは歩いて三十分足らずだ。普段ならたいした距離でもないが、降りしきる雪の中を、しもやけ予備軍の足で歩くにはどうにも切ない。タクシーを使うには、ブラッド事務所的には無駄な距離だ。

　このあたりに、やさしく匿ってくれるような有閑マダムはいないものか。

　考えてみたが、大抵の顔見知りには今朝からのパーティーで会っている。奴らはそのまま夜通し騒ぐ予定だろう。あの上流階級どものどんちゃん騒ぎにのこのこ戻るには、今の俺は打ちひしがれすぎている。

　溜息して、空を見上げる。といっても、見上げるほどの空なんかない。後から後からいやになるほど舞い降りてくる雪と、バカみたいなクリスマスのネオン、黒々とそびえ立つビル群。

　その中の一つに、ふと目を止める。

　ひときわ高く、昼間でも黒い、電飾も何もない無愛想なビル。ＲＥＤ鉱石研究所だ。本来あんな堅苦しい組織とは無縁のはずなのだが、ある事件をきっかけに、現在は俺と年間契約がある。そのきっかけをくれたヤツは、今も生真面目にここで働いているはずだ。

　思いついて、俺は携帯電話を取り出した。

　冷静に考えれば、クリスマスのこんな時刻にまだ働いているようなのは間違いなくクレイジーだが、ヤツならそのクレイジーに当てはまるような気がしたのだ。

　さらにコートのポケットから名刺入れを取り出し、札束のように指先で繰って目当ての一枚を引っ張り出す。

「ＲＥＤ研究所専任研究員　Ｋｅｉｉｃｈｉ　ＡＫＡＳＨＩ」

　へえ、アイツ、ケイイチなんて舌噛みそうな名前だったのか。よく考えてみれば、俺はヤツのファースト・ネームもろくろく認識したことがなかったのだ。

　七コールで、ケイイチ氏は電話に出た。

「メリークリスマス、ケーィチ。俺、カーマインだけど」

　俺が名乗るや、ヤツは電話の向こうでむせた。

「え、カーマイン？　カーマインですか？　カーマイン・ブラッド？」

　早口に三度も確認する。

　そういえば、会うのはあの事件以来だから、もう半年振りになるか。その前なんか、十年近くも会っていなかったし、高校時代のつきあいだってそんなに親しかったわけじゃない。クリスマスの深夜にいきなり電話がかかってきたところで、いぶかしむのが普通だ。

　ところがヤツは、話が早かった。

「……わかりました。研究所ビルの南側の通用口のロックを解除しておきますから、エントランスで待っていてください。五分で行きます」

　これが、秘密を共有したことの効果か。

　俺は半年前に関わった事件で、その犯人と犯人の真の狙いを知りながら、それを誰にも口外していない。まあ依頼主も世間もそれで納得しているし、ブラッド探偵事務所は潰れずに済んでいるし、肝心の犯人は生真面目な研究者に戻って研究所に貢献しているしで、誰も困ってはいないわけだが。いやむしろ、口外するほうがあちこち困ることになるのか。

　人に言えない秘密を抱え続けている状態、というのは性格が軽い分、裏表なく生きている俺の中にはそれなりに引っかかってはいた。ヤツにとっても同じことだったのか。

　クリスマス休暇で締め切っているのだそうな、研究所ビルのエントランスは、補助灯だけで薄暗かった。こんな日にこんなところに、ヤツは一人で働いていたのか。やはりどう考えてもクレイジーだ。

　電話をしてからきっかり五分で、ヤツはエントランスに現れた。黒髪に黒いタートルネックのセーター、上からはまだ白衣を羽織ったままだ。走って来たのか息を切らして、銀縁メガネが心持ち白く曇っている。

「よう、久しぶりだな。クリスマスまで仕事かよ、ケーィチ？」

　笑いかけると、ヤツはメガネを指先でメガネを押し上げながら目をそらした。

「ええ、私は別にクリスチャンではありませんので。それよりカーマイン、酔ってますね？　その発音の悪い『ケーィチ』はやめてもらえませんか」

　コイツがこういう反応をするのは珍しい。俺は顔をぐいと近づけて相手の顔を覗き込む。

「何だよ、ファーストネームで呼ばれて怒ってんの？　お前は俺のことファーストネームでしか呼ばないくせに」

　もっとも俺の場合、ファーストネームで呼ばない知り合いは皆無に等しい。初対面からファーストネーム、そういうキャラクターなのだ。アカシはまあ、どう考えても正反対のタイプだが。

「そうではなくて、発音が違うんです」

　目をそらしたままで、ぼそっとヤツが言い訳する。

　基本的に何にでも淡白な反応を見せるヤツが、ここまで拘泥するということは、きっと何かある。俺はニヤニヤしながら、さらにつついた。

「わーるかったね。じゃあ、正しい発音を教えろよ。ケーチ？　ケイチ？　ケイイチ？」

　途端にヤツは、薄暗い中でもわかるほど赤面して、首を振った。

「もう、あなたはいつも通り『アカシ』で結構。……あなたにそういう訛りで呼ばれると、亡くなった父を思い出すんです。さあ、行きますよ」

　向こうを向いて、アカシはさっさと歩き出した。

「何だよ、親父さんかよ。てっきり昔の女にでも呼ばれていたのかと……オイ、アカシ！　お前、白衣のまんま外出る気かよ？」

　ヤツは白衣のまま、俺がさっき入って来た通用口のドアを開け放った。

　途端に冷風と、白い雪がフワフワ舞い込む。

「ああ、外は雪だったんですね。知りませんでした。大丈夫、私の部屋はこのすぐ裏ですから」

　白衣をはためかせ、雪の中に涼しい顔で出て行く。

「普段なら地下のショッピングモールを通って行けるんですけどね、クリスマス休暇で閉め切っているんですよ、通路ごと。開けとくとホームレスが入りますから」

　ほんの少し温まっていた耳に、雪が当たってまた総毛立つ。通用口の鍵を閉めながらアカシが何か言っているが、聞く気にもならない。

「クソ、寒ぃじゃねーか」

　身を縮めて、俺は叫ぶ。自分の寒さも勿論だが、セーターに白衣だけで雪の中に立っているヤツを見ていると余計に寒いのだ。

　持っていた黒い傘を開き、俺の肩に手を回してその下に誘導すると、ヤツは耳元に囁いた。

「大丈夫、私がちゃんと温めてあげます」

　……もしかすると、俺はこのときに逃げ出すべきだったのかもしれない。