磨くと燃えるように赤く輝くその鉱石は、以降財力の象徴として一部の権力者たちに独占され、一般市場には科学的に合成された宝石が出回るようになった。つまり昨今目にするレッドのほとんどは合成石で、天然モノは金庫室やセキュリティ・システムの内側にあることになる。

　今回のヤマは、その天然レッドだ。巨大財団ＲＥＤお抱えの鉱石研究所に、一通の予告状が届いたと言う。

「今夜零時『スター・レッド』をいただきにあがります、って？　いまどき博物館並にレトロな泥棒さんだな。実は二百年くらい前の今夜の予告だったりしてな」

　笑って茶化すと、依頼人は眉根を寄せて予告状の写真をひったくった。

「笑い事じゃないんです、カーマイン。予告状が届いたのが午後三時で、今夜の予告でしょう。新聞社にも写しを送りつけたらしく、マスコミ対応やらで研究所中ひっくりかえってます。予告なしの不法侵入や窃盗未遂は過去に何件かケースがありますが、こう正面から予告されると逆に何をすればよいのか」

　鉱石研究所の担当者研究員として、探偵事務所を訪れた男・アカシは、偶然にも俺の高校の同級生だった。いや、知人だからこそ訪れたと言うべきか。

　アカシとは、それほど仲が良かったという記憶はない。とは言っても俺の人づきあいは常に浅く広くなので、顔と名前が記憶に残っているというだけでも、きっと接点はあったほうなのだろう。

　ヤツはマッド・サイエンティストと仇名された学校では有名な変人で、放課後はいつでも化学実験室に入り浸っていた。俺はたまに、推理小説の化学ネタの信憑性を聞きに訪ねたりしたが、ヤツは実験器具で密造した即席自家製酒なんぞでもてなしてくれたりした。常に白衣をまとい眼鏡を光らせて、一見とっつきにくい雰囲気はあるが、根は結構いいヤツなのかもしれない。

　今回だって、十年も昔の縁を思い出して、仕事を持ってきてくれたほどなのだ。ありがたいことではある。

「ってもなあ。天然レッドを泥棒の手から守るったって、財団ＲＥＤ様の誇るセキュリティ・システムがあるだろうよ。しかも今回はどういうわけだかインター・ポールまで出るそうじゃないか。さっきＴＶで張り切ったオッサンがインタビューに答えていたぜ？」

　よだれが出るほど、魅力的な依頼ではある。

　開業時には赤毛の美青年探偵と騒がれたものの、ブームが過ぎて、ブラッド探偵事務所は経営難に陥っている。地味な浮気調査で糊口をしのぎながら、何とか宣伝になる派手な仕事はないかと待ち受けていた。

　が、何しろヤマがデカすぎる。俺の売りは、通常の探偵にはない甘いマスクと社交術で、財閥令嬢のジュエリーの運搬や有閑マダムのペット探しなんかが専門なのだ。それが、お堅い研究所の世界的財産の警備、さらにインター・ポールが出張るようなヤマと来ては、俺ごときに何ができる。

　アカシは眉間に皺を寄せたまま、銀縁の眼鏡越しに俺を見据えた。

「セキュリティ・システムは通常通り運行。所内機密保持規定により、警察には外を固めてもらいます。これだけで、所内にはまず侵入不可能でしょう。しかしわざわざ予告してくるということは、万が一の可能性にも備える必要がある」

　言葉を切り、アカシは人差し指を立てた。

「そこで内部に一人、信用できる探偵を配置する。緊急会議の結論です。つまりカーマイン、君なのです」

　驚いた。まさかＲＥＤからの名指しとは。

「へえ、光栄だな。財閥専門探偵の俺の腕を買われたってわけかな？」

　言われて悪い気はしない。髪を後ろに梳いて真顔を作りながら、俺は過去の栄光を確認してみる。

「いいえ。他の研究員には顔見知りの探偵がいなかったもので」

　だがアカシは、真顔で否定した。俺は髪を梳いたままの姿勢で下にずっこける。
　あまりにもいい加減な理由じゃないか。財団スタッフがマスコミ対応に追われる背後で、こういうことには不慣れな学者集団の会議はさぞかし迷走したのだろう。

　まあ実際、俺は顔がいいというミーハーな理由で世間に知られている分、依頼主を陥れるような裏仕事をしにくい異端の探偵ではあるのだが。

　ともあれ、悪い話ではない。実際の仕事は警察がやって、俺は万が一に備えて待機、せいぜい腰の抜けた研究員たちを宥めてやればいいのだ。マスコミも来るし、ＲＥＤお抱えの研究所なら報酬も相当にふんだくれる。

　むしろ、極上のヤマだ。

「いいぜ。同窓生の顔を立ててやるよ」

　俺はニヤリと笑い、右手を差し出した。

　アカシが両手で握り返してくる。男にしては華奢な手だが、指先に独特の感触がある。薬品による手荒れは高校時代と変わらぬ持病らしい。

「ありがとう、カーマイン。早速、案内します」

　アカシの鉄面皮が、初めて微笑に崩れた。

◆

　俺は中央のショウ・ケースに寄り、しげしげと眺めた。分厚い強化ガラスの箱を、何重もの特殊レーザー・バリアーが守っている。

　中の石は、燃えるように輝く真紅だ。カボッション・カットされた中心には、血のような暗紅色の星がゆらゆら揺らめいている。

「へえ、これが至高の天然レッド『スター・レッド』ですか。妖しいような美しさですね」

「ええ。天然のレッドでは最大級の大きさを誇り、内部の星は天然石だけに見られる現象で、炎のような暗紅色のアステアリズムは他に例を見ない極めて希な……」

　早速ウンチクを垂れようとする研究員の口上を遮り、俺は片手を上げた。

「で、本物はどこにあるんです？」

「は」

　まくし立てていた研究員が、言葉を失う。

「だってこれ、偽物でしょう。光がこう入っているのに、抜けていくときの角度がおかしい。美しいが、これは合成ですらない、ガラスか何かのイミテーションでしょう。警備するのに、本物の所在を教えてもらわなくちゃ、守れませんよ？」

　数人の研究員が、おろおろと顔を見合わせる。横からアカシが出てきた。

「失礼、カーマイン。これも対策の一つでね。皆さん、彼は財界御用達の探偵ですから天然レッドも見慣れています。こんなカムフラージュは通用しません」

　俺がじろりと睨むと、ウンチク男は縮み上がった。

「防犯対策上、一般公開しているのは実はこちらのイミテーションなんです。トップ・シークレットですので、一切他言なきよう」

　アカシがさらりと、一般市民には聞かせられないような解説をする。

　これまで天然レッドとして、この偽物を公開していたというのか。周囲の研究員がいっそう狼狽しながら、アカシと俺とを見比べる。俺は挑発するように、アカシに顔を近づけて睨み上げた。

「防犯対策上、ねえ。天下の財団ＲＥＤとしては、世界的秘宝の価値の前には、無垢な一般市民の期待は犠牲になりうると考えたわけか？」

　だがアカシは、ぴくりとも動じなかった。

「ええ。そういう方針のようです。必要があれば、あなたにも黙秘料を充分に支払うよう言われています。後日手数料と一緒に請求してください」

　大真面目のようだ。お手上げのポーズで、俺は笑いにはぐらかす。

「ま、いいか。俺も俺い大人だし。明日の信用第一の良心会計だから安心していいぜ。で、本物はどこにあるわけ？　俺が守るのは、本物なんだろ？」

「ええ、まあ。本物を守るために、イミテーションがあるわけですから」

　アカシが目配せすると、ウンチク男がレーザー・バリアーのロックを解除し始める。

　ショウ・ケースを開けて、イミテーションの台座を外すと、下から分厚い金属製の蓋が現れた。蓋には旧式のダイヤルロックがついている。

「ダイヤル式なんて古めかしいでしょう。これがＲＥＤの伝統的なやり方らしいですよ。最近ではもう見かけないという意味では防犯効果が却って高いのかもしれませんが」

　アカシの細い指先が儀式めいた仕草でダイヤルを左右に回す。どうやら蓋の上のイミテーションごと、天然レッドを保管するための金庫になっているようだ。

　蓋を開けると、アカシは手を中に差し込む。中は筒状の保管庫は口が狭く、アカシの細腕でも窮屈そうだ。底のほうから絹にくるまれたレッドを引っ張り出して、ぽんと無造作に俺の手に載せる。

　本物と思われるこちらは心持ち色合いが暗く、布越しにもひんやりした冷感が指先に伝わる。

「何だ。これが本物？　こんな近くに隠してあるわけ」

　正直、拍子抜けした。だいたい、偽者と比べて本物というだけの迫力がない。 「ええまあ。所内に保管することが一般市民に対するＲＥＤなりの良心のようです」

　イミテーションを本物と偽って公開しておいて、本物はその真下にあるなんて、随分とひねくれた良心だが。

　アカシも財団の方針に同意してはいないらしい。内情を平然と部外者に語るアカシに、むしろ周囲の研究員のほうがおろおろしている。

「なるほど、ね」

　俺は小さくため息をつき、肩をすくめる。正直、かなりうんざりきていた。

　とは言っても、俺としてはどうでもいいことだった。俺はただここにいて、ＲＥＤが世界に誇る秘宝「スター・レッド」様をお守りしていればいいのだ。そもそも外は警察が固めている。時代遅れの泥棒がここまで侵入できる確率はゼロに等しい。無事に夜が明ければ、俺は世界的財宝の警備に一役買った探偵として名が上がる。こんなに楽な仕事はない。

「もういいや。元通りしまっといて」

　レッドを丁重にアカシに返却し、俺はショウ・ケースから離れた。博物館ホールの中をブラブラ歩き出す。

　警備のための下見と言いたいところだが、気持ちはすっかり冷めていたので、ただの散歩だ。

「カーマイン。それで、私たちはどうすればいいでしょう」

　アカシが追ってきて、緊迫した表情を寄せる。

「あー、別にいてもいなくてもいいけど。心配なら、そこのスクリーンで中継でも見ながら零時を待ったら？　あ、その前に夜食頼むね、腹減るだろうし」

　釈然としない表情で、アカシが頷く。俺はニヤリと笑ってつけ加えた。

「あとさ、屋上に通じる階段室のドア、開けといてくれる？」

「え、何故です？　それでは賊の脱出口を確保することになる」

　ますます不審そうな顔をする。アカシの眉間の皺の前で、俺はチチチと人差し指を振った。

「逃げやすいルートを一つだけ残しておくことで、逆にヤツの動きを封じるのさ。犯人を逃がさないんじゃなくて、捕まえたいときにはな」

　そういうかすかな期待でも残しておかないと、あまりにも退屈な夜になりそうだった。