俺たちは博物館ホールのデモ用スクリーンにＣＮＮを映し、外の混乱を眺めていた。警備員を含め、研究所のヤツらは緊迫していたようだが、俺は極めてリラックスしていた。

「あ、今、不審な影が上空に現れました！　鳥か、飛行機か、いずれにしても不審な影です！」

　スクリーン脇のスピーカーから唐突に、緊迫したレポーターの声が響いた。落ち着かずソワソワしていた研究員達が一斉にスクリーンに詰め寄る。そんなに近づいたら却って見にくいと俺は思うのだが。

「ＲＥＤ鉱石研究所ビルの上空付近に、どこからともなく現れた黒い影が寄って行きます。警察のヘリが向かいますが……ああっと、窓に吸い込まれました、捕獲できず！　研究所ビルの六十階くらいでしょうか、閉まっているはずの窓に、不審な影が侵入しました！」

　まるで手品のような、一瞬の出来事だった。

　中継画像の盛り上がりに合わせ、所内は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。警備員が走り、間をパニック状態の研究員が叫びながら右往左往する。

　派手好きな泥棒の狙いは、見事に図に当たったようだった。スピーカーからは、混乱しながらもどこか楽しそうな実況中継が流れ続けている。

　それは、楽しいに決まっている。レトロな予告状から、マスコミへのリーク、果てはインター・ポールの出番に至るまで引っ張ったのだ。むしろ事件が起きてくれないほうが、各関係者とも困るというものだろう。

　俺は喧騒の中で紅茶を一口すすり、悠然と屋上に向かった。

　零時七分に、ヤツが階段を上ってくる足音が聞こえた。計算よりも少し早いか。

「よう、早かったな。時代遅れの泥棒さん」

　階段室の屋根から声をかける。階段室から姿を現したヤツは、ゆっくりと振り返った。仮面で表情は見えないが、背後の俺にさして驚いた様子もない。

　階下に通じるドアを足で閉め、飛び降りる。ヤツの進路を塞ぐ位置に降り立って、むしろ俺のほうが驚いた。

　風になびく黒髪に黒のマント、銀のアイマスク、胸に抱いた赤く輝く石。ヤツは噴き出しそうにレトロなヤツだったのだ。

　そのうえ、

「おい、知ってるか？　お前が持ってるそれ、イミテーションだぜ」

　ヤツが大切そうに握っているのは、天然レッドではなくイミテーションのほうだったのである。

　まさか、あの子供騙しのダミー蓋つき金庫に引っかかったのか。

　ところが意外にも、ヤツは口元をかすかに歪めて微笑した。

「勿論です。私が欲しかったのは、天然レッドではなく、イミテーション・レッドですから」

　イミテーションが、欲しかっただと？　いったい何を言ってやがる。

　さしもの俺もパニックに一瞬陥った。ヤツの狙いは、人をパニックに陥れることにあるらしい。

　だが俺の強みは、こういうときの立ち直りの早さにある。

　ブンブンと赤毛を振って雑念を払い、ヤツに飛びかかる。つまるところは泥棒と探偵、とにかく捕まえてしまえば俺の勝ちなのだ。

　しかしヤツは想像以上に身軽だった。補助灯だけの殺風景なビルの屋上を、黒い影がひらりひらり逃げ回る。躍起になって、俺は追いかける。思えば奇妙な状況だった。

　だいたい、この柵に囲まれた屋上を逃げ回るばかりで、ヤツはいったいどこへ逃げるつもりなのか？

　不審に思ったとき、ヤツの長いマントが風にあおられて俺の鼻先を掠めた。

　咄嗟に右手で掴んで、思い切り引っ張る。がくんという手ごたえとともに、実に呆気なくレトロな泥棒は俺の腕の中に転げ込んできた。

　逃げられないようにコンクリに組み伏せ、手錠をかけようと手首を掴んだところで、今度こそ俺は絶句した。

「……お前、アカシ？」

　掴んだ腕の、変に細い骨格と、手袋のはずれた指先の独特の感触。目元を隠すアイマスクをむしり取ると、暗がりに浮かぶ輪郭にはたしかに憶えがあった。

「何でこんな茶番──」

　最初から、仕組まれていたのだ。

　派手な予告状とマスコミへのリーク。研究所内の滑稽なほどの混乱。警察と、都合のいい証人たる俺。先ほど厳戒警備をかいくぐって研究所ビルに侵入したという影も、所内からの映像トリックと見るほうが辻褄が合う。

　犯人はずっと所内にいて、屋上で派手な乱闘を演出した後、何食わぬ顔で騒動に狼狽する一研究員に戻るつもりなのだ。

　組み伏せられたアカシは、あれだけ飛び回ったにもかかわらず、憎らしいことに息も乱していない。

「欲しかったのですよ、これが。イミテーション・レッドは、ガラス職人だった父の遺作でね」

　抑揚の少ない、感情の読み取りにくいいつもの語り口で、アカシが告白する。

「天然レッドを守るために、財団からイミテーションの存在さえ口外することを禁じられていましたが、父にとっては入魂の作品だった。幼い頃、父に連れられて何度も鉱石博物館に足を運びましたよ。父は口に出しては言わなかったが、その眼差しから、ああこれは父の作品なのだと私にはわかりました」

　組み伏せられながらも、アカシは片手にイミテーション・レッドを握り締めたままだ。ガラス細工ならば、本物よりも簡単に割れてしまうのだろう。

「天然レッドよりも、揺らめく炎が美しいでしょう。私にとってはこちらが本物。天然レッドこそイミテーション・レッドの偽物ですよ」

　アカシの黒い瞳にイミテーション・レッドが映り、妖しく赤く輝く。その美しさに、俺は刹那見惚れた。

「財団に入り込んで何とか手に入れようとしたが、想像以上にガードが固くて。実際、父以上に素晴らしいイミテーションを作れる職人は見つかっていないのですよ。何しろ無垢な一般大衆の期待を裏切らないイミテーションでないといけませんから」

　ガラス職人である父親のことは誇りに思っている、といつかアカシは言っていた。彼の父親は、たしか高校の在学中に亡くなっていた。

「その父の手による名品を、天然レッドとして公開し続けることがどうにも私には耐えられなくて……派手な茶番でイミテーション・レッドの存在を世間に知らしめ、かつ隠滅したかった」

　事情を聞けば、動機は理解できないでもない。

　だがつまり、その茶番のために俺やマスコミは利用されたということか。否、まだ利用されつつある段階に過ぎない。

　何だってこの段階で俺に種明かしをするのだ。だいたい、俺が仕掛けた屋上階段の罠にノコノコ飛び込んでくることもない。扉の鍵を開けておいたのはアカシ本人なのだ。

　何故わざわざ、こんな真似をするのか。たとえば俺が、こいつが犯人だとバラしてしまえば何もかもが終りじゃないか。

　俺が何か言おうと口を開いた途端、アカシは小さく吐息を漏らした。

「ええ、あなたに種明かしをする必要はないんですけどね。ふと秘密を共有して欲しくなったのですよ、カーマイン。あなたに」

　秘密の共有って、何だ。またも俺は面食らう。

　たしかに、ここで黙っていれば俺は恐らく天然レッドを守った探偵としてヒーローになれるだろう。レトロな泥棒の正体を晒し、同時に財団ＲＥＤの秘密を暴くのも一興かもしれないが、赤毛の美青年探偵の明日を考えるなら、断然ヒーローの道を選ぶべきだろう。

　しかしだからと言って、この人に語っても信じてもらえないような馬鹿げた茶番劇を、この先ずっと俺の胸にしまっていろと？

　そんなことに何の意味が。

「だってそうすれば、この先あなたと私の接点が続くでしょう？」

　マスクの下の口元の両端が持ち上がって、クスクスと喉から吐息が漏れる。アカシが笑ったのだ。

　恐らくあの頃と同じように、俺以外の人間は滅多に目撃したことがないであろうアカシの破顔。

　ああコイツだ、と思った途端、目の前が真っ白に焼けた。

　それが子供騙しのマグネシウム光だったことに気付いたのは、組み伏せていたはずのヤツが跡形もなく姿を消した後である。

　バラバラというヘリの音で我に返る。ようやく警察のお出ましなのだ。

　一人取り残された俺の手には、本物のスター・レッドがいつの間にか載っている。

　俺は立ち上がり、赤い輝きを放つそれを、高々とサーチライトにかざした。

　翌朝、マスコミは事件を大々的に報じた。「名探偵カーマイン・ブラッド、怪盗から至高のスター・レッドを死守！」「警察さえも出し抜いた怪盗は、イミテーションを手に虚しく敗走」「リベンジに備え、ＲＥＤ財団はブラッド氏と年間契約」

　……つまり、イミテーション事件のイミテーション解決のおかげで、我が探偵事務所は存続の危機を逃れたというわけだ。

　本当のことは、俺とアカシだけが知っている。案外、そんなものじゃないか？