甘く、抗いがたい眩暈を誘う、蟲惑を含んだ芳香。白くはかなげな花の散った後、その実を絞れば、人を思い通りの虜にする薬になる。ともすればあどけなさの残る少年の容貌に、まといつく業は裏腹の闇だ。

　不自由なやつ。

　口に出さずに呟き、遮那王はかすかに口の端を歪めた。

　それきり円鏡から目をそらし、あらぬ方へ気を飛ばす。岩の天井を抜け、天を覆う魔の森の枝樹を越え、乳色にけむる空を貫き、紺碧の天空へ、昇りつめていく。

　逢魔ヶ森の入り口を彷徨う芥子の花への興は、とうに失せていた。

◆

　少進坊が到着するまでには、それから随分と時間がかかった。

「やれ、今日の森はひどく疲れ申した。慣れぬ者を連れていた上に、遮那王様のお力添えもいただけなかったのでな。

　お迎えいただけなかったということは、遮那王様は瞑想中か。どちらにおられる」

　よくしゃべる男だった。霊術を修める者でありながら、少進坊の気はさわさわと落ち着かず煩い。遮那王は聞こえぬふりをして、気を体には戻さなかった。

「遮那王様！」

　無遠慮に肉体を揺さぶられ、遮那王はようやく瞼を開く。

「奥州清和よりお迎えいたした。遮那王様の影武者にございます。年の頃を差し引かぬとも見事な剣技の持ち主で」

　少進坊の背後に、先刻鏡の底に見た、芥子の花が咲いていた。

　武家らしく胡座をかいているものの、所在なげにうつむき、旅汚れた膝の上に置いた掌が小さく震えている。頬に差した紅は緊張によるものか、おののく心音が此方まで聞こえてくるかと思われた。

　肩書き好きの少進坊がその出自を詳しく語らぬところを見ると、奥州清和源氏といっても傍系の妾腹なのであろう。無骨な奥州源氏とは思えぬ、風にも耐えぬたおやかな姿かたちである。

「面を上げよ」

　遮那王の一喝に、華奢な体がびくりと震えた。さほど大きな声でもあるまいに、おずおずと、少年は花弁をもたげた。

　匂うような、少年の顔立ちだった。

　ほのめく白皙、震えを耐えて引き結ばれた鮮やかな朱の唇、濡れ羽色の髪を透かして、黒曜石の双眸が遮那王にすがりつく。香りもせぬのに、ふと芳香に圧されるような痺れを覚える。鏡に映すよりも、こうして相対するとはるかに艶めくのだ。

　そのかんばせで、人を操り、己の弱さの糧としてきたか？そして我をも、その業に引きずり込もうと目論むか？

　射るような遮那王の視線に、犯されながらしかし逸らさず、正面から受け止める。花は思うほど脆弱でもないらしい。

　値踏みするような遮那王の視線の前にその身をさらし、見返す瞳に独特の熱がこもっている。

　遮那王は、己を見る者の、そういった眼差しにはもう慣れてしまっている。

　亡き義朝の遺児にして源氏再興の宿命を担う、若き遮那王の周囲には、その血筋ゆえに人々が群がった。お父上の敵を、源氏の再興をと、叫ぶ彼らには、背負うべき宿命はない。

　その血ゆえに祭り上げられた遮那王を、己の熱に浮かされた瞳で見つめ、己の無力さを遮那王にすがる。血の縁に縛られていなければ、遮那王が真っ先に斬り捨てるやもしれぬ、眼差し。

　こやつも、己の業もわきまえず、我にすがるか。

「名は、聞かぬ」

　目をそらして言い放つ。

「芥子丸。そう、呼ぶぞ」

　唐突に立ち上がった遮那王に、少進坊が慌てふためく。芥子丸は音もなく遮那王に従っている。立ち上がると意外に上背がある。長身の遮那王には及ばないが、守られるだけの子供でもないのだろう。

　影ならば黙って従え。

　遮那王は何も告げずにゆらりと外へ出た。ついて来なければその場で斬り捨てるつもりだった。

◆

　洞窟を抜けると、外は黄昏時であった。逢魔ヶ森には妄執が満ちはじめている。

　遮那王は二本の刀を抜き、呼吸を止めて構える。

　目線の先に、芥子丸が立つ。言の葉にせずとも気で悟る、勘のよさはあるらしい。

　だが、それだけでは影にはならぬ。遮那王の光を受けるだけの、力がなければ。

「遮那王様、何をなさる！」

　少進坊が背後からすがりつく。遮那王はそれを乱暴に払った。芥子丸は、遮那王の前を動かない。やわらかな丸みを帯びた頬は、幾分蒼ざめて見える。

　白銀の軌跡を描いて、遮那王は刀を舞わせた。流れるような動きを次第に加速させる。

「しゃ、遮那王様！」

　つき転ばされたままの少進坊が悲鳴をあげる。かまわず、切っ先を標的に肉薄させる。芥子丸の着物を裂き、髪を払い、女のように長い睫を薙ぐ。

　芥子丸の黒い瞳は遮那王の瞳だけを見つめ、最後まで動かなかった。身じろぎもせず、声さえも漏らさなかったのは、類まれなる意思の力か、怯懦の証に過ぎぬのか。見極める前に、日が落ちた。

　遮那王は、抜いたときと同じ唐突さで刀を鞘に収める。

「旅の穢れを払え」

　言い捨てて、立ち去る。

　埃を払い、洗い清めた芥子の姿を、見てみたいと思いはじめていた。

◆

　その日から、芥子丸は影のように遮那王に従った。

　遮那王が口にする前に身の回りの世話をし、剣技の的として立ち、瞑想をする遮那王の傍らに物も言わずひっそりと傅く。まるでずっと以前からそうしていたように、迷いもなくひたりと寄り添った。

　そして滅多に、口を利かぬ。何か問われても、頷くかかぶりを振るだけで応じ、笑みを見せることもない。瞳だけが、まといつくように遮那王を追う。

　そんなことは、幾日も続かぬと遮那王は思っていた。

　ほんの少しでも、遮那王の影にふさわしからぬ言動があれば、いつでも斬り捨てる気でいた。此方が見ずともすがりついてくるのがわかる、熱を帯びた瞳がいちいち癇に障った。

　我の影になると、本気で？この遮那王の、我の真の姿も知らず、源氏の血の縁だけで？愚かな。

「芥子丸」

　名を呼ぶと、音もなく足元に控える。そして瞳だけで、用件を問うのだ。今の主が望むものは何か、主の表情と仕草から読み取ろうとする。

　遮那王は芥子丸の細いおとがいを片手に挟み、強引に仰向かせた。間近から主に睨み下ろされ、従順な瞳が戸惑いに揺れる。

「そなた、どのようなつもりだ」

　低く囁くと、唇がかすかに開いた。

「我の影になると、本気で思うているのか？我を知りもせず」

　指先に力を入れると、苦痛に表情が歪んだ。無理な力に朱い唇が割れて、小さな闇が覗く。苦しげな吐息が漏れる。芥子の花が、甘く香る。

　その唇を唇で塞ぐと、潤んでいた瞳が驚愕に大きく見開かれた。おとがいを締め上げられる苦痛と唇を吸われる戸惑いに、凍りつく表情をじっくりと見下ろす。なすがままだった体が、押し付けた胸の中で硬く強張るのがわかる。

◆　

かまわずに舌を差し入れ、甘美な芥子の香りを存分に味わう。黒曜石の瞳の焦点が次第にぼやけ、細められ、やがて濃い睫が覆う。細腰に手を添えて支えてやると、強張っていた体から力が抜けた。

「なるほど美味だな、芥子丸。それがそなたの罠か」

　気の薄れかける頃に、解放して言い捨てる。洞窟の薄闇に、荒い息をつく、朱い唇が濡れ光っている。

「罠ごと、食ろうてやる。その身に知るがいい、我を」

　遮那王は小太刀を、芥子丸の首筋に当てた。冷たい感触に竦む身を、押さえつけて一息に切り裂く。芥子丸の身を包む白い水干が避け、細い朱線が後を追う。

　芥子丸の喉から、ごくわずかな悲鳴が漏れる。自分の声に驚いたように、芥子丸はいっそう身を竦め、唇を引き結んだ。

「そなたは何も語らぬな。今宵は聞かせてもらうぞ。存分に、な」

　白い胸を伝う、小太刀の残した軌跡に舌を這わせる。

　初めて、芥子丸が抗い、遮那王の胸に腕をつっぱった。

「それでよい、芥子丸」

　遮那王が口の端をかすかにつりあげる。微笑、だった。遮那王は口の端を歪めたまま、白い衣の表面に甲高い音を立てて小太刀を滑らせる。

「あ、」

　二本の刀の的であるときは、身じろぎもしない芥子丸の喉から、悲鳴が漏れる。

「しゃ、なお、さ、ま」

　押さえつけられ、揉みあいながら、途切れ途切れに芥子丸が喘ぐ。遮那王もほとんど聞くことのなかった芥子丸の声は、もう子供のそれではない。

　恐れと、戸惑いと、服従とに潤む瞳が、遮那王を見上げてくる。黒目がちの瞳は、ともすれば闇に溶けそうに、それでも月を映す水面のように光に揺れた。

　あらわになった肌に指を這わせると、収縮する筋が拒むのに、木目の細かい肌が吸いつく、不可思議な反応を示す。

　そのままなめらかな首筋をたどり、華奢なおとがいを撫で、悲鳴を押し殺した唇に押し入る。歯列をなぞり、開いた隙に滑り込むと、蠢く舌が指をなぶった。濡れた感触は、視線よりもはるかに熱い。

　奥まで差し込み、舌の根を弄ぶ。

　哀願するような瞳が、苦しげに遮那王を見つめている。遮那王は、嘲るようにそれを見下ろす。

　たっぷりと口腔を犯していた指を引き抜き、したたるそれを、見せつけてからゆるゆると下へ向かう。

　仰向けに押し倒して膝を割り、芥子丸の片足を己の肩に担ぐと、指をそこに差し入れる。

　声にならぬ悲鳴が、白い喉を裂いた。

　びくりと震え、収縮し、異物を拒むそこに、無理矢理突き入れる。慣らしもせず、唾液だけでそこを犯されることが、どんなに辛いかを遮那王は知っている。知っていて、なおも力を緩めようとしない。らせん状に動かし、押し広げ、裂けるのもかまわずに奥へ進める。温かい感触がじわりと指を覆う。

　本気で抗い暴れるのを、体を重ねることで封じ込める。岩肌と遮那王の胸のわずかな隙間に、少年の華奢な体が波打つ。

◆

「しゃな、お、さま、お、ゆる、し・・・」

　黒曜石の瞳は、苦痛にほとんど閉じていた。薄く開いた隙からこぼれる涙が、睫の先にに灯る。

「そなた我の影になるのであろう？我を知らずに、なれるとでも？」

　気の遠くなるほど時間をかけるのは、裂傷への思いやりからではない。徐々に犯されていく、時間が長いほど、誤魔化しがきかず弱みをさらしやすくなる。身も心も隠しきれぬほどに苛んで、その闇の瞳に潜む芥子丸を暴くのだ。

「あ、あっ！」

　ある一点で、芥子丸の胸が大きく跳ねた。

「ここか、芥子丸」

　覗きこむと、苦痛に蒼ざめた表情に、愉悦と羞恥の紅が滲んでいる。位置を確認しながら、指の数を増やす。先刻よりも、幾分容易く呑み込まれる。

「ここならば、よいのであろう」

　耳朶を噛むように囁きかけてやる。言葉でなく瞳でなく、指をくわえ込んだそこが、蠢いて遮那王に応える。織り交ぜられる快楽は、ただ苦しめつづけるよりも、手酷い仕打ちには違いない。

　芥子丸が許しを請うたびに、遮那王は犯す指を増やした。わずか一夜が、永劫に途切れぬ闇の奈落へ沈めることもある。

「・・・我を、受け止めうるか。その頼りなき身に」

　押し殺した声で囁く。引き抜いた指と、入れ替わりに押し入る衝撃に、芥子丸の食い縛った唇から悲鳴が迸った。

　かまわず両脚を肩に担ぎ、圧し掛かり折りたたむ。遮那王の耳に、不自然な姿勢に苦しみもがく腱がみしりと鳴く。早鐘の心音の互いの胸に響き合うまで、強引に押し込む。繋がったそこから、異なる鼓動が混ざり合う。

　芥子丸の白い顔は唇までも蒼ざめて、きつく閉じた瞼は苦悶にわなないている。もう、生きた心地もせぬのであろう。

　芥子丸の飛びかけた意識を、そこを乱暴に揺すりあげることで、引き戻す。

「気を手放すな・・・目を開け」

　容赦のない遮那王の言葉に、苦しげな吐息が漏れた。

「我を見よ。芥子・・・何が見える？この身を流れる源氏の血か」

　きつく寄せられた眉の下で、濡れ輝く瞳がうっすらと開く。睫にわだかまっていた涙が、はらりと零れ落ちる。遮那王様、と震える唇がぎこちなくたどる。

「はっきり、申せ」

　ぐいと、額を押しつける。音を伴わぬ悲鳴が、唇を割って漏れ出でる。

　光が。

　声にはならぬが、芥子丸は、たしかにそう囁いた。

　白銀の、光が、遮那王様を、包んでおりまする。

「我が血の宿命か」

　額に貼りついた前髪を梳き上げ、苦痛に揺らめく瞳を覗き込む。芥子丸は弱々しく、だがはっきりとかぶりを振った。

　お会いしたそのときから、遮那王様のまばゆい光が、血ではなく、遮那王様の光が、芥子丸を射すくめておりまする。

　芥子丸は、遮那王様の光を映すだけの、影。遮那王様の中に、我が宿命はあるのです。

　震えるばかりの唇で、熱に浮かされけぶる瞳で、芥子丸はそう語った。

　もはや遮那王様しか、この瞳には映りませぬ。

　刹那、芥子丸の、躊躇なく見上げてくる、思いがけぬ烈しさをはらんだ眼差しに、遮那王のほうがひるんだ。

「芥子・・・」

　名を呼び、腰を打ちつける。

　闇に輝く瞳は、たちまち苦痛に焦点を失い、崩れ、悲鳴が唇を割る。ざくざくと、互いの脈動が感覚を刻む。

　清楚な姿で人を操る芥子の、抗いがたい蟲惑が遮那王をも絡めとる。

　痺れる芳香の闇に、遮那王は己を放出した。

◆

　芥子丸は、相変わらず物を言わぬ。その熱を帯びた瞳だけで、遮那王を追う。

　遮那王はもう、何も問わず当然のように芥子丸を従えた。

　……業の闇の底に、白い花が開いた。