雨戸を思い切りよく引き開けると、日差しが真っ白に目を焼く。一瞬つぶった目を開くと、目の前で青白メガネが手を振っていた。

　目の前、と言うには少し距離がある。だいたい、おれの部屋はニ階なのだ。この窓のすぐ外側に人が立てるとしたら、オバケか泥棒くらいだろう。

　青白メガネはオバケでも泥棒なく、ただのお隣りさんである。都会の悲しい建物事情というやつで、それなりに金のかかった一軒家であるおれの家と、学生用安アパートが、垣根一枚隔てて隣接して建っているのだ。

　そんなわけで、おれはしばしば、爽やかな朝をこの顔色の悪い大学院生の顔から迎える。

「おはよう、陽太。今日も早起きだね」

　青白メガネこと島川透はにっこりと笑った。

　日は中天まで上っていて、見たところとっくに昼を過ぎている。早起きというのは完全に嫌味だ。

「うるせーな。お前こそ昼間っからパジャマでベランダなんか出てるんじゃねえよ」

　おれが毒づいても、透は顔色を変えない。それどころか、いっそうにこにこする。

「僕は陽太が起きるの待ってたんだよ。でね、陽太。今日ヒマ？　今からうち来ない？　おいでよ」

　一応ヒマかどうかを形としては訊いてはいるのだが、こちらの返答を待たず一気に結論づけている。おっとりした口調で意外と強引なのだ、こいつは。

「別に用事はねーけど、お前んち行くような用事もねーよ」

　そのまま言いなりになるのも癪で、なるべく意地悪く突っぱねる。

　すると透は四角いメガネの奥の目を悲しげに細め、哀れっぽく両手を差し伸べた。

　透のこういう芝居がかった仕草には慣れっこだが、おれまで届かず空をかくその手が、今日は何だかやけに白く見える。もともと透は色白というか青白なのだが、それにしたって真っ白で、おまけにぷっくら厚みがある。

極度の乱視をどうにか凝らして見ると、どうも包帯をぐるぐる両手に巻いているらしい。

「何だよ、その手」

　どうやら最初から、そこに気付いて欲しかったらしい。透はうれしそうに、顔の横まで両手を持上げて見せた。

「説明しよう！　昨日ね、部活の実験につきあってたら、手違いで塩酸小分けにした試験管倒しちゃったのがいてね。化学部顧問助手、名誉の負傷と相成りました」

　自慢気に解説する。

　国立大学の理系の大学院に席を置いている透は、近所の高校で非常勤の化学講師もやっている。クラブ顧問の手伝いもしているとは聞いていたが、化学部というのは初耳だった。まあ、化学の先生なんだから当たり前といえば当たり前なのだが。

「でね、このとおり手が使えないわけ。それで着替えられないし、ご飯も食べられないし、外にも出られないしでさ、陽太君のお早いお目覚めをお待ちしてました」

　しゃあしゃあと言う。

「あのなあ。だから何でそこでおれなわけ。フツーそういうときは、おフクロとか女とか呼ぶもんだろが」

　言ってしまってから、口をつぐむ。

　透は一人暮らしで、母親は遠く北海道の空の下。そして女などは間違ってもいるはずがない。

　何しろ、奴はゲイなのだ。

　透がゲイというのは、親にも周囲にも内緒で、おれだけが知っている。

　何でおれだけ知っているのかというと、一年程前にあろうことか体でカミングアウトされたという関係だからで。

「だからさ、親も女もいないから。頼むよ、陽太」

　透はおれの失言を気に止めなかったようで、笑顔でおれのほうに片手を伸ばした。本人としては指差しているのだろうが、包帯ぐるぐる巻きの指は五本全部がまとめてこっちを向いている。

「ああもう、わかったよ。行くよ。すぐ行ってやるから、中入って待ってろ」

　おれは乱暴に言って、窓ガラスをぴしゃりと閉める。ガラス割れるよう、と笑う透を振り返りもせず、一気に階段を駆け下りる。

「やっと起きたの。日曜だからっていくら何でも寝すぎじゃないの、陽太」

　階下では、おフクロがテレビを見ながらせんべいをかじっていた。おれを見もせず、気のない小言をたれる。

「お腹空いたんなら、お鍋にシチュー入ってるから。パンはテーブルの上。お母さんもうお昼済ませたし、島川先生のとこ持ってってあげたら」

　島川先生、とは隣人の透のことだ。中学のときにおれが数学を教わっていたので、おフクロには、お隣りさんというより家庭教師の先生のイメージが強いらしい。

「何で、透んとこ」

「聞こえたわよ。先生、手、怪我されたんですって。大丈夫なの。残り物で悪いけど、去年は陽太もお世話になったんだし。お夕食もよかったらうちでどうぞってお誘いしてきて。それとあんた、先生のこと呼び捨てにするのやめなさい。失礼でしょ」

　おフクロはどういうわけだか相当の「島川先生」びいきだ。おれが今の高校に入れたのは、「優秀な島川先生」のおかげだと信じきっている。国立大学理系大学院生の肩書きが効いているのか、透の手管にはめられたのか、息子のおれにはよくわからない。

　奴がゲイだということや、まして自分の息子とそういう関係になっちゃっていることを知らないのは、おフクロにとって幸いというべきか不幸というべきか。

　ともあれ、おれは言われたとおり、すきっ腹と鍋を抱えて徒歩三十秒の島川先生宅を訪問することにした。

　これですっかり透の思惑通りの展開だろう。

　あいつ、まさかここまで想定して、ベランダから声をかけたんじゃないだろうな。

　歩くとカンカン音の響く金属階段を上りながらおれは考える。だとしたら、まんまと透の手管にはめられたのは、おフクロじゃなくておれなのかもしれない。

「とーるー、来たぞー」

　両手に鍋を抱えたままなので、足でドアをノックする。開いてるからどうぞ、と中から透が答える。

　ドアが開いてても、おれの手が開いてないんだが。

　シチュー鍋とパン袋を小脇に抱え、何とかドアノブを捻ると、内側からドアが開いた。

「いらっしゃい、陽太。ごめんね。ドア開けられなくて」

　いつもよりも妙に近い位置に透がいて、危うくシチュー鍋を引っ掛けそうになった。おれの頭のすぐ上くらいで、透が不自然に肘をつっぱってドアを支えている。手首から先は、ぐるぐるの包帯巻き。反対側の手も同じく。

　つまりドアノブをひねることができなくて、こんな出迎えになったらしい。

「うっわ。本当に手、使えねーの」

「うん」

　透の肘の下をすり抜けて何とか上がりこみ、とりあえず鍋を電気コンロの上にセットする。振り返ると、透は完全に閉まりきらずに隙間の開いたドアを見つめていた。

「ドアも自分で閉められないのかよ。さっきは閉まってたじゃねーか」

　横から手を出して閉めてやる。

　おれがここに来るといつも、自動ドアのようにドアが開き、入ると鍵が閉まって、座椅子を勧められるまでが一連の動作なのだが、今日はいちいちひっかかる。

「昨夜は試験管倒した子がここまで送ってくれたからね。ドアは閉めてってもらったけど、鍵はかけられなかったんだよ」

　透にとってもおれの世話を焼くのは習慣らしく、何となく後ろからくっついてくる。包帯巻きの手で、何ができるわけでもないのだが。

「ふーん。そりゃまた律儀な奴だな」

　おれはとりあえずいつもの座椅子に座った。ひとつしかない座椅子は、おれの指定席なのだ。

「うん。責任感じちゃったんだろうね。コンビニ弁当食べさせてくれた後、スーツ脱がせて、パジャマに着替えさせてくれたよ」

　ちなみに、透が教えているのは男子校だ。透の口調は得意そうで、おそらく妬いて欲しいのだろうが。

「そのまま今日まで透の面倒見てくれたら、おれが面倒なかったのになあ」

　彼女こそいないものの、共学通いで女の子に夢も野望も抱いているおれが、変態教師の面倒を見てくれる奇特な奴に嫉妬するいわれはないのだ。素っ気ない答えに、立ったままの透がしょんぼりと肩を落す。

　おれは座ったばかりの座椅子から立ち上がると、その肩を叩いた。

「いいからもう座ってろよ。落ち着かない。何ができるわけでもないんだし」

　透がしおしおと壁際の座布団に着席する。その脇をすり抜けて、おれは鍋に向かった。

　温めるだけならそろそろいいはずだ。いつもなら透がよそってくれるのだが、今日ばかりは仕方ない。しかし面倒くさいのはいやなので、おれは皿によそったりせず、鍋ごと運ぶことにした。

「あ、ちょっとコタツに直に置いたらだめだって。新聞か何か」

「平気平気。そんなに熱くないし。いただきまーす」

　透の制止を振り払い、強引に鍋を食卓代わりのコタツに据える。

　蓋を開けると、空腹の胃を刺激する湯気の香り。おれはたまらずスプーンを突っ込んだ。一口、二口。うん、二日目のシチューはコクが出る。

　気付くと、透がじっとおれを見ている。

　そりゃそうだ。おふくろの持たせてくれたシチューは島川先生の分もあって、そのうえ透は手が使えないのだ。じっと恨めしげに見つめる理由はあるだろうが。

　透は恨めしげじゃなくて、むしろ恍惚とした表情でおれの口元を見つめている。

「おいしそうだね、陽太」

　おれが動きを止めると、変にうっとりというか、ねっとりと透が呟く。

　急に食欲がしぼんだ気がして、おれは次の一匙を透のほうへ突き出してやった。

　透はたいして熱くもないのにふうふう吹いてから、いやにゆっくりと口を開けて、シチューを舐め取った。

「おいしい。陽太」

　何でこいつは、シチューを食うのにこんなエロい顔をするんだろうか。おれは少なからずげんなりして、次の匙も譲ってやる。

　冷静に考えれば、男同士で「あーん」しているこの状況こそが食欲減退の原因なのだが、おれは最後まで気付かずに透にシチューを食べさせてやった。これまた奴の手管にひっかかったのかもしれない。

「んで、いつ治るって？　透の手」

　とりあえずシチューとパンで二人とも食事を終えて、おれは聞いてみた。下手をすると、晩メシもおれが食べさせてやらなきゃならないのかと思うとうんざりする。

「うん？　そうだね」

　にこにこしたまま、透は何だかわからない受け答えをした。

「そうだね、じゃなくて。その手、まさか一生ぐるぐるじゃないだろ。うっとーしい」

　透が、うーんと唸る。

「それがね、この中で指、くっついたままなんだよねえ。溶けた皮膚同士、無理にはがすと組織が壊れるからって。今は何とも言えないかんじ。この前の実験のレポート書かなきゃいけないのに、困ったなあ」

　それって、つまり、どういうことだ？　レポートとか、そういう次元の問題なのか？　透の表情は、全然変わらない。

「って、どういうことだよ。お前、指。その、まさか」

　二の句が告げない。

「うーん、もしくっついたままなら、まあ、却って親に言い訳はしやすくなるかな。結婚しないっての。ほら僕、カミングアウトしてないからさ、この頃うるさくって。嫁さん探してやるから、見合いして、結婚して、早く孫の顔を見せろって。親父が会社リタイアしてから暇らしくてさ、親心なんだろうけど困るよね」

　それは何と言うか、困るところがズレている気がする。

「陽太もほっとしたでしょ。この頃、共学で楽しそうだしさ、僕のことはまあ、いずれ若気の至りだと思って忘れるつもりだったんだろうし」

　おれのほうがドキッとした。どんどん話が、妙な方向にズレていく。

「待てよ、透。何の話だよ」

「え？　だから僕の手。これじゃあもう陽太を押し倒したりできないから」

　透は笑った顔のまま、メガネの奥の目だけをちょっと細めた。眩しいような、淋しいような、変な表情。どこまで冗談でどこからが本気なのかがわからない。

「前から陽太、言ってたでしょ。高校行ったら、彼女作って普通の恋愛するんだって。僕とは、まあ、受験勉強のストレスと、若さゆえの過ちというか、そんなかんじだったしね」

「だから、そういう問題じゃないだろ！」

　おれは怒鳴って、透の頬を両側から叩いた。そのまま手のひらを残して、へらへらした口元を押さえつける。

「そんな笑ってるんじゃねーよ。お前の手が、そんなんなのに、全然関係ない話ばっかりしやがって。おれのことなんか、言ってる場合じゃないだろ」

　たしかに、いつもおれは言っていた。

　おれは基本的には女の子が好きで、自分のことをゲイだとは思っていない。そういう興味が一気に高まる年頃に、たまたま透みたいなのに会っちゃっただけで、高校に入ったらちゃんと普通に女の子と恋愛する。

　百歩譲ってバイだったとしても、一度くらいは女の子とも経験したい。何と言ってもおれはまだまだ子供で、あそこの毛だってやっと一昨年生えたばかりなのだ。

　でもそんなことは、透の手がもう一生使えないかもしれないというこんなときに、話すような問題じゃない。

「でもさ、現実問題として、できないんだよね。昨夜もムラムラしたのに自分でできなくて困っちゃってさ……」

　透は深刻そうに眉を寄せたが、言っていることはちっとも深刻じゃない。

「黙れよ！　もう」

　なおも言い募ろうとする透の口に、おれは両方の親指を突っ込んだ。さすがに、しゃべりやめる。

　そっと指を抜くと、やっと透は真面目な顔になって、言った。

「そんな顔、しないでよ。こっちが泣いちゃうから」

　慌てて目をそらす。興奮すると、おれはまず涙腺に来る体質なのだ。

「手がそんなでも、できないこと、ない」

　目をそらしたまま言って、座椅子から立ち上がる。

　たぶん、意地になっていたんだと思う。

　手が使えないってのに、できるのできないの、そんなことばかり言う透に腹を立てていたんだと思う。

　たしかにおれは透のことを恋愛対象だなんて思ったこともないし、若さゆえの事故だとは断言しているが、透からそれだけだと言われると無性に腹が立った。おれはまだ、若さの真っ只中にいるのだ。

　勢いよく、おれはトレーナーを脱ぎ捨てた。メガネの奥の目を瞬かせる透の目の前で、下着ごと綿パンも下ろして素っ裸になる。

　それからコタツをずらして、透のパジャマのズボンに手を突っ込んだ。取り出すと、昨夜のムラムラの痕跡を確かに留めている。

「ちょ、ちょっと、陽太？」

　レースのカーテンを閉めているとは言え、明るい昼間の光の中で、透がうろたえた声を出す。

「大人しくしてろよ。できないことないってことを証明してやる。お前があんまりバカなこと言うからだ」

　あんまり見られると気が散るので、メガネを取り上げる。ド近眼の透は慌てたが、包帯巻きの両手なんか払いのければ何もできない。壁を背にして座っているのをいいことに、両手首をひとまとめにして押さえつける。

　もう片方の手で握ると、さっきより大きくなっている。

　触れた途端、生き物のようにひくりと身じろいで、おれは驚いて手を離す。考えてみれば、いつもおれはしてもらう側だったから、意図的に透のものを握るなんて初めてなのだ。

　透は焦点の合わなくなった目で、ぼんやりおれを見ている。驚いている場合じゃない。おれが何とかしなければコトは進まない。

　思い切って、両手で掴む。途端に透が眉根を寄せる。おれはまた驚いて手を離す。

「い、痛いか？」

　透が首を左右に振る。痛い、わけではないらしい。おれはもう一度、そっと手を伸ばす。指を絡めて、いつも透がしてくれるように、じれったくなるくらいゆっくり上下する。

　眉根を寄せたまま、透は目を閉じた。何だか辛そうな表情だが、そうでもないらしい。

「……どうしよう。挿れたい、陽太」

　しばらくして、吐息に紛れて透が囁く。目を閉じたまま、ちょっと上を向いている。反らした首に透の喉仏。見慣れているのに、不思議な眺め。

「わかった。ちょっと待ってろ」

　体をひねって、ベッドの下の収納箱を引っ張り出す。

　見覚えあるチューブ容器を取り出して、にょろりと人差し指に載せる。おそるおそる、自分の後ろに持っていって突っ込むと。

「てっ」

　声が出た。痛い。透の指はいつもぬるりと入るのに、自分の指は爪が思ったよりも平たく硬い。おまけに軟膏が冷たい。

「駄目だよ、そんな急にしたら。こっちおいで、陽太」

　透が手招きする。男の癖に細くて器用な透の指は、ぐるぐる巻きの包帯の中だ。おいでおいでしたって、どうするというのだろう。

「いきなりじゃなくて、ちゃんとよくなってからじゃないと駄目なんだよ。ここ、ここに立って」

　声に導かれるまま、透の座り込んで伸ばした足を跨いで立つ。包帯巻きの両手が、思いがけない強さでおれの腰を抱え込む。ぺろりと、先っちょを舐められた。

「こっちがよくなったら、指を挿れてごらん」

　焦点の合わない目でおれを見上げながら、やけにゆっくりと口を開けて呑み込む。喉の、うんと奥の方まで。

「あ、と、とおる」

　今度はおれがうろたえる。何でこんなにエロい顔をするんだ、こいつは。引き離そうと髪を掴むと、余計にヤバい眺めになる。力を入れた指先に、逆の力が入ってしまう。

　下半身が熱くなってくると、不思議に連動して後ろが疼く。

　それを察してか、包帯の手が誘うように谷間をさする。おれはもう一度、自分の指を後ろに回した。

　軟膏はほとんど指に残っていなかったが、今度は難なく入った。痛いどころか、充足感がある。

「んん！」

　ある一点まで指を差し込んだところで、勝手に喉が鳴った。

　中に一箇所、変なところがある。触ると、電流が走るみたいな。いつも透の器用な指が、執拗にからかうところだ。

　透はちょっと目を細めて舌の動きを再開する。さっきほどは深くない、生温かい口の中で、舌が絡みついて動いている。

　透の口に突っ込みながら、自分の指で穴の中をいじる。ちょっと動かすと、内側がびくびく動く。何だかすごく、変な感じがする。熱くて欲しくて、頭も体もおかしくなりそうな。

　砕けそうになる腰を包帯の手に抱え込まれ、前を呑み込まれ、後ろを自分でいじりながら、おれは途切れ途切れに何とか声を搾り出す。

「とー、る。も……お前の挿れ、て」

　透は呑み込んだときと同様、ゆっくりとおれを吐き出して、薄く笑った。

「いいよ。おいで、陽太」

　解放されて、そのまま崩れる。左手で透の首に掴まって、挿れていた右手の指の代わりに、透のをあてがい、そのまま腰を下ろす。

「陽太。ゆっくりだよ、裂けないように。そう、ゆっくり」

　入口の抵抗を無理に押し込み、そのままゆっくり深く奥へ。何とか根元まで呑み込んで、そのままパジャマの胸にしがみつく。バカみたいに興奮していて、うまく息ができずに喉が喘ぐ。

「大丈夫、陽太？」

　頭の上から心配げにかけられる声が、体の中に響く。

　おれは用心深く身を起こして、透の額に額をつけた。

「みろ、できるじゃないか」

　勝ち誇って言ってやる。

　手ぐらい使えなくたって、透はおれとできるのだ。

　透は一瞬、目をぱちくりさせた。

　それから勢いよく、包帯の手でおれの両頬を包んで、舌の抜けそうなそうなキスをしてきた。いつものやさしいキスじゃない。何だか切羽詰まったように強引で、やさしい指で髪を梳くかわりに、包帯のガーゼが耳を塞いでがさがさうるさい。薄い布越しに、触れてくる手のひらもやけに熱い。

「ふ、ん、んんっ」

　口の中を熱い舌にまさぐられると、動かしてもいないのに後ろの穴がびくびく反応する。どうやらちょうど、イイところに当たっている。

「ば、ばっかやろ。おれだけ先にイっちゃうだろ」

　口づけを何とか必死にもぎ放し、おれは態勢を立て直した。おれだけイくんじゃ、意味がないのだ。

　透の首に手をかけて、おそるおそる腰を持ち上げ、ずるりと戻す。熱いものが、内側を擦って出入りする。はじめはゆっくり、やがて貪欲に。

　何が何だかわからず透にしがみつきながら揺さぶられるいつもと違って、自分のペースと角度を保てる分、少しは余裕がある。

　透は眉を寄せ、どこか苦しそうな表情で、抽挿のたびに息を弾ませている。鳩尾を、おれのものでこすって突いてやる。

「なあ透、イイ？」

　耳元に囁くと、首を竦めて何度も頷く。

　子供みたいな仕草で、ちょっと可愛い。可愛いと思うと、余計に虐めたくなる。

「陽太！　きつ、きついよ。ゆるめて、あ」

　ちょっと意識して絞ると、透は首を左右に振っておれの腰を掴んだ。が、包帯巻きの手なんかで押さえられるわけがない。

　おれはやっきになって腰を振る。

「ぅあっ、ようた、ど、いて。だ、め……っ！」

　びくびくっと、おれの中で透が跳ねた。

　熱いものがはじけて広がる。

　後が大変だからと、透は中で出したりしたことはなかった。だから、こんなに熱く、中を満たすものだとは知らなくて。

「ごめん。陽太、だいじょう……」

　おれのものも、心配した透の手がほんの少し触れるや、ほとんど予告なしに爆発した。

◆

　シャワーでさっぱりしてから戻ると、透はあぐらをかいてぼんやりとぐるぐる巻きの手を眺めていた。白い包帯には放射状に、爆発したおれの白い残骸。

「い、いいよ。自分でやるから」

　何故か透は慌ててひっこめる。俺は両手首を掴んで引き寄せた。

「自分でって、手ぇ使えないくせに、無理だろ。だいたいこれ、おれ以外の誰にも触らせられねえよ」

　顔を近づけると、独特の匂いが鼻をつく。とてもじゃないが、こんな奴をうちの夕飯に招くわけにはいかない。

「とにかく包帯外しちゃえよ。貸せったら」

「いいよ、いいったら」

　透はなおも抵抗する。何でそんなに嫌がるかはわからないが、拒まれると余計に意地になった。

　たぶん、覚悟をつけたかったんだと思う。

　くっついてしまって一生このままかもしれないという透の手がどうなったかを、見たかった。細くて器用で、やさしくおれを撫でた手が、どんなふうになってしまったのか、この目で確かめなければと、思っていた。

　じたばた暴れるのを壁に押し付けて、有無を言わさず手首を捕まえる。基本的に室内暮らしで、生まれてこの方運動らしい運動なんかしたことがない透を押さえ込むのなんかわけもない。

　まずは左手から、包帯のゆるみを爪先でひっかける。輪が一本外れると、するするらせん状に包帯はほどけた。

　が。

「……何だよ。これ？」

　出てきたものに、おれは絶句した。力づくで握り締めた手首の先に連なっていたのは。

　肉付きの薄い、手のひら。その真ん中で一本だけ包帯に包まれた、中指。骨格のごつごつが透けて見える、他の細い指はどれも無傷だ。

「あ、あのね。陽太。実は、怪我したのは本当は中指だけ、なんだ」

　透がにこにこしながら、ひきつった口の端で困惑している。

　おれは無言で、もう片方の手の包帯もむしり取った。結果は同じく、中指だけに包帯が巻かれていて、その他の指は持ち主の困惑を伝えて震えている。

「実験じゃなくて、生徒たちの放課後バスケにつきあって、突き指したの。保健の先生が大袈裟に包帯巻いて、無理に動かしちゃ駄目よなんて怖い顔で言うもんだから、何となくそんな気になって。その」

　おれの動きは完全に停止している。霊能力者だったら、おれの口から抜け出すエクトプラズムを見られたことだろう。

「ごめん、ね。軽い冗談のつもりだったんだけど、まさかそんなに信じてくれるとは思わなくて」

　透はにこにこしながら、見るからにひきつっている。漫画だったら、こめかみに縦線と冷や汗が垂れてくるにちがいない。

「それでその、何か、言い出すにはもったいないような雰囲気になっちゃって。陽太、怒って、る？」

　そりゃあたしかに、騙されるほうが間抜けだ。今思えば、随分と無理のある話だった。かもしれない、だけで何がどうなるという話でもなかった。

　それでも。

　おれがどんな思いをしたか。

「その、ごめん。たまには、陽太が上ってのもいいなーと思っちゃったから」

　透の言い草に、ぷちっと何かが切れた。

　忘れていた。こいつは、にこにこしながら、いつもこういう手を使うのだ。

　おれは猛然と、包帯巻きの透の中指に噛みついた。

「いた、痛いよ、陽太。そこ突き指してるの、痛いってば！」

　痛がってもがく透の手を、おれは腹立ち紛れにがっぷり噛みついてやった。左と右と、交互に。しまいにはいっぺんに。

　それくらい腹が立っていた。立って立って、仕方がなかった。

　何にいちばん腹が立ったって、透の無事な指の噛み応えがうれしいと思った自分に、だ。