見れば、赤毛の友人が、枕もとの小箪笥を開け閉めしている。随分と古いものなので、裏板に歪みが生じ、引き出す方向を誤ると、ひっかかってガタガタいうのだ。

「何をしているんです？　カーマイン」

　問いかけながら、畳の上に転がっていた眼鏡をかける。昨夜、暗闇ではずしたまま、適当に放っていたから、無神経な友人に踏み潰される前に回収できたのは幸運だった。

「何って、家捜し」

　顔を引き出しにつっこんだままで、ひどく楽しそうな答えが返ってくる。浴衣の帯をいい加減に結んで、乱れた裾から、立てた膝の太股まで覗いているのに頓着する様子もない。

　随分と熱中しているようだ。

　外はまだ薄暗く、昼間の街の喧騒が目覚めるにはまだ早い。こんな早くから、いつでも出入りできる友人宅の箪笥を物色するとはどういう了見なのだろう。

「この前から気になっててさあ。この古くていかにも由緒正しそうなものがしまわれてそうな引き出し群。アカシ、お前これって何なの？」

　赤毛が振り返り、手ぬぐいごしに箪笥の中のものを摘んで見せる。

　手ぬぐいは、指紋をつけないようにとの配慮だろうか。そういえば、この友人の自称稼業は探偵だったと思い出して、苦笑を浮かべる。注意を引いたものは何でも調べる、職業柄そういう習性がついているのだろう。

「それは……ざくろ石ですね」

　手元の石ころを見て答える。灰色の石の中に、暗紅色の粒々がざくろの実のように突出している。粒のひとつひとつは、きれいな十二面体だ。

「ふーん？　磨くと光ったり、高価だったりするわけ？」

「いいえ。まあ磨けば多少は光るかもしれませんが、ありふれた石ですし、不純物も多そうですし、その大きさではほとんど価値がないでしょうね」

　手ぬぐいの中で転がしたり、光に透かしたりして、石を検分していた友人は、うろんな目つきで振り返った。

「げえ。そんなもん、何でこんな大事そうにしまってるんだよ？　きっちりひとつずつ区分けした上に、ガラスのカバーまでかけてあるから、よっぽどイイものだと思ったぜ、俺は」

　がっかりしたのか、肩をすくめてため息までついて見せる。ガラスケースに収めてある石と見れば、価値あるものと思い込む短絡さが彼らしい。

「ええ、いいものではありましたよ？　子供の頃にどこかの道端で拾ったはずですが。添え紙に、採取日付と地名があるでしょう？　自然界に生まれた十二面体があまりにきれいで、私は魅せられたのですよ」

　もともと、物言わぬ物質の美しさ、世界を生成する幾何学模様の美しさに惹かれて、現在の研究職についた。物好きと言われるのは慣れているし、他人の知らない美しい世界を知っているという意味では、むしろ誇りにさえ感じる。

「きれい、ねえ。う、するとこの引き出しに入っているのは、みんなそんな石ころばかりというわけか」

　かたん、といささか乱暴に彼はざくろ石を引き出しに戻した。現実主義または俗物的ロマンチストの彼が、その価値を解さないのは無理もない。

「石ころ、とは限りませんよ。貝殻や植物の種子、昆虫の標本なんかもあるでしょう？」

　だが口では落胆しながらも、物色をやめない彼の好奇心には感心する。

「うわ、セミの抜け殻か。まじまじアップで見ると不気味だぜ」

　ひとつひとつ手にとっては、一言ずつ感想を述べる様子は、どちらかと言えば楽しそうでさえある。

　この気まぐれな友人は、何にでも満遍なく興味を持つが、人よりはるかに速く自分にとっての価値のあるなしを決めるタイプなのだ。その明快でスピーディーなスタイルが、他ならぬ彼の魅力でもある。

　そして、彼の明るい鳶色の瞳が、私の少々マニアックな「いいもの」を見つめているこの瞬間は気恥ずかしさとともに、ちょっとした快感をはらんだ。

「お、これはちょっと気持ちわかるかも。マーブル・ガラス」

　だが次々引き出しを開けられていくと、別の不安が頭をもたげてくる。

「ええ、ビー玉です。父が作ってくれたものです」

　さあらぬ態で答えながら、布団を抜け出し、無防備な背中にじりじりと間合いを詰める。

　次の段を勢いよく引き出したところで、友人はふと動きを止めた。いぶかしげに、首をかしげる。

「あり？」

　何かに気付いたようだ。出した引き出しを一旦押し込み、また引き出して、引き出しの中身ではなく、裏板のさらに奥を覗きこむ。それからさっき押し込んだばかりの上の段を引き出し、さらにその下の数段を同時に出して、横から奥行を見比べている。

　そろそろ、しおどきだ。

「さあ、もうガラクタ検分はそのへんにして。キッチンでコーヒーはいかがです、カーマイン？」

　足音を忍ばせて近づき、両肩に手を乗せる。

　引き出しに熱中していた赤毛は一瞬ぎくりと身を竦ませ、それから振り返ってにやあっと笑った。

「なあ、アカシ。この引き出し、ここ三段だけ奥行が微妙に浅いぜ？　さては、この奥に隠しスペースがあるだろ？」

　そうそう気付くまいと思っていたが、気付いてしまったらしい。

　彼の指摘する通り、そこには隠しスペースがある。

　実を言うならば、そこだけではない。もう一箇所、かなり大きなスペースがある。一見してわかる収納スペースの他に、持ち主だけがわかる秘密の収納スペースが仕込んであるのだ。東洋で「からくり箪笥」と呼ばれる種類の箪笥である。

　秘密のスペースだからこそ、そう簡単に人には見せられないものを収納しているのだが、その存在はかえて彼の好奇心を煽ったようだ。この無作法な友人の気質はどこまでも、他人の秘密を暴く探偵だと重ねて苦笑する。

「そう、ですか？　古い木材ですから、歪んだり縮んだりしていることもあるかと思いますが」

　飽くまでも知らないふりを貫いてみる。

「ははーん、何かすげえものが隠してあると顔に書いてあるぜ、アカシ？」

　だが彼にはまったく通用しないようだ。好奇心にキラキラと輝く目は、無知なる子供の残忍さも備えている。

　こうなってはもう、開き直るしかない。

「ええ、まあ、すごいものですよ。私にとってはね。ただ、あなたにとって価値があるとは思えませんし……もしかしたら見たくないものかもしれませんよ」

　その場に胡座をかいて、腕を組む。

　見られて困る、というほどのものでもない。ただ非常に気恥ずかしいだけだ。おそらく、自分にとっては勿論、この無邪気な捜索者にとっても。

「何だよ、そりゃ。ま、いっか。開けるぞ」

　微塵のためらいもなく、引き出し三段を引き抜いてはずす。空いたスペースに頭から突っ込み、裏板の隙間を探り、彼は見事に隠しスペースを発見したらしい。

「あった、あった。へへ……何だこりゃ？　アルバム？」

　隠しスペースから出てきたものは、彼の予測とは違う形態だったらしい。古い皮の表紙、私にとっては見慣れたものだ。

　無造作に表紙を開いて、彼は絶句した。

「……何だ、こりゃ？」

　かなりの間を置いてから、彼はやっとうめいた。

　そこにあったのは、高校生の頃の彼自身の写真である。体育祭にて・リレーアンカー、という添え書きが示す通り、Ｔシャツに短パンの彼が一着のテープを切って破顔をしている。土を蹴り、走って行く後姿もある。Ｔシャツの裾を捲り上げて、顎の汗を拭いている写真では、きれいな縦ベソまで写っている。

「見てのとおりです、カーマイン」

　あえて取り繕ったりはしない。諌止を振り払い、秘密のスペースを暴いてまで見たのは、彼の勝手なのだ。

　複雑な心境に震えながら、彼の指が次をめくる。

　巻き毛のつけ毛をつけ、黒いマントとドレスを風になびかせ、ほうきに跨っている写真が出てくる。ハロウィンで魔女に扮したときの写真だ。真っ赤なルージュも塗っている。黒いマントに赤毛がよく似合うと、校内で評判になった。

　さらにめくる。コーラのビンに直に口をつけて、喉をそらして嚥下している。何と言うことはない日常の一コマで、ただそれだけなのだが、どことなくエロティシズムを感じさせるアングルに惹かれ、写真部の友人に頼んで融通してもらったものだ。

「……おい、アカシ」

　げっそりした表情で、写真よりも十年の歳月を経た彼が振り返る。

「はい」

　返事をしたが、それ以降の言葉は続かなかった。物を言う気も失せたらしい。口元を複雑に歪めたまま、黙ってアルバムを閉じる。

　途端にひらりと隙間から落ちたものがある。

「ああ……見るのは勝手ですけどね、乱暴に扱ったり、紛失したりは困りますよ」

　素早く拾って、アルバムを取り返し、元の位置に貼りなおす。

　今度は写真ではなく、新聞の切抜きである。ハイスクールを卒業して、生写真など入手できなくなった後の時期は、スクラップばかりだ。記事の中に写真もあることはあるが、赤毛の友人はほとんど背景である。財閥令嬢の婚約パーティーに関する記事で、彼は令嬢の護衛役として傍らに写っている。

　同じページには、高校を卒業し、彼が探偵を開業してからの新聞や雑誌の記事がスクラップされている。「有閑マダム御用達・美青年探偵」のアオリにポートレート風の写真の載った女性誌の特集もあれば、「現場に居合わせたブラッド氏が」の一言で終わっている事件記事もある。

　一度は自分で閉じたくせに、彼はまたページをめくりはじめ、やや赤面して頭をかいた。

「うー、なんつーか、俺でも記憶してないような記事まで、よくもまあ」

　隠し撮り写真ほどの嫌悪感はなかったらしい。偏執的な所業には変わりがないが、彼に向ける憧憬ゆえという部分を理解してくれたのか、むしろ照れくさそうに表情が和らいでいる。

　おだてに弱く、他人の賛辞を正直に受け取る自惚れの強さも、また彼の長所だ。

「そういう性分ですから。さ、もう充分でしょう。引き出しはしまって、コーヒーを入れますよ」

　上機嫌の呼吸を見計い、できるだけさり気なく誘ってみる。

　だが彼は、またしてもにやあっと笑った。

「イヤだね。まだ何か隠してるだろ、アカシ？」

　人差し指を立てて振りながら、舌を鳴らす。

「お前の大事なイミテーション・レッドがない。あれはまだ、この中だろ？　お前にとって大切なものをしまってあるんなら、当然ここにあるはずだ」

　ぎくりとする。

　たしかに、イミテーション・レッドは箪笥のもう一箇所のからくり箱に隠してある。いつか、茶番劇でそれを盗み出し、彼に見逃してもらった。客観的にはただのガラスで、本来隠すほどの価値はない。だが、大好きだった父の思い出と、ささやかながら世界的犯罪の後ろめたさと、二人だけの秘密という甘さをはらんでいる。その意味では、至高の宝石。

　それにしても彼には何故、他では定評のあるポーカーフェースが通じないのだろう。人の気持ちには鈍いくせに、隠したい事実だけは暴き立てる。どうしても彼だけには弱い。

「ええ、まあ。ただのガラスとわかっているのに、今更見たいのですか、カーマイン？」

「まあね。ここまで引き出しパズルを解いた以上は、最後のお宝まで見たいってのが人の性ってモンでしょ」

　なおも悪あがきを試みたところで、磊落な笑顔にあっけなく一蹴される。

　問題は、レッドではないのだ。同じ隠し箱に入っている、もうひとつ。それは間違いなく、彼に見せるべきものではない。

　気にしなければ、何だかはわからない。気付かずに過ぎるかもしれない。だがもしも気になってしまったら、彼の鋭い感と洞察力、惚れた弱みの彼の尋問に耐え得るか。それが大いに問題なのだ。

　葛藤する間もなく、彼はもう、さっさと探索に戻っている。

「ここ、引き出しの最下段の下、随分スペースが余ってるよな。底板の下に、まだ箱があるだろ？」

　まったく、腹が立つほどカンがいい。普段の探偵業でもこれくらいの冴えを発揮できれば、もう少しましな生活ができように、と思うのはお節介だが。

「ビーンゴ！」

　早くも箱を開けたらしい。災厄が飛び出すか、一筋の希望が残るか、まるでパンドラの箱だ。

「おお、世界中の無垢な市民を魅了した、イミテーション・レッド様は、真綿にくるまれてやがる。ガラスのくせに相変わらず美しくご機嫌麗しゅう。……と、ん？　もう一つお宝があるぜ？」

　イミテーション・レッドとの芝居がかった再開の後、彼はやはり、もうひとつにも注意を向けた。

　シルクのハンカチの端を引いて、中からころりと転がり出たのは、奇妙な物体。

温かみのある珊瑚色で、改良シリコンゴムの人の皮膚にも似た質感の、シルエットはややずんぐりとした。

「何だこりゃ、ディルドーにしちゃ随分とささやかな。この形は……親指？」

　無駄に見事な推理力で、彼はその原型を言い当てた。

　少し伸びた形のいい爪先から、ふっくらとした指の腹、しなりの良さそうな関節、親指の付け根の手のひらのまでを含む精巧なイミテーション。

　否、色味こそ単調で生彩を欠くものの、イミテーションと呼ぶには、複雑に渦巻く指紋の一つ一つ、力の抜けた関節の皺の一本一本に至るまで、あまりにリアルだ。

　まるで、モデルの指を型取りして、そこに樹脂を流し込んだように。

　赤毛の友人は、不気味そうに唇を歪めて、だが吸い寄せられたように目を離せずにいる。

「おい、これって……まさか」

　不運なことに、彼は気付いてしまったようだった。

　無理もない。シリコンのイミテーションに並べて、紛れもない型取りのモデルが並んでいるのだから。

「ええ、そうですよ」

　背後から忍び寄り、首に腕を絡める。やさしくではなく、強く、容易には抜け出せない強さで。

　こうなれば、もう開き直るしかない。何度も警告して、止めたのだ。再三の警告を無視して起きた事故のリスクは、当人で負うべきである。

「あなたの親指です、カーマイン」

　ゲッと叫びかけた唇に、親指を差し込んで黙らせる。

「憶えていませんか？　ハイスクールの実験室で、放課後、私の密造酒を飲んで、あなたはよく眠っていたじゃありませんか」

　首を固定されて動けなくなった顔の中で、鳶色の瞳だけがゆっくりとこちらにめぐる。澄んだ大きな瞳は、魔物の本性を知らずに魅入られる、神話の少年を思わせる。

「私の前に、無防備な寝顔を晒してね。大丈夫、あなたが懸念しているようなことはしていませんよ。酔ったあなたからキスをせがまれる以上には。キス魔って、罪作りですよねえ。理性を保つのに、十代の私がどれだけ苦労したことか。あの頃の私ときたら、あなたをまるで天使のように崇拝していましたし、真面目で善良で、何より純情でしたから。石膏で型を取る程度でも、その後数ヶ月は罪悪感に苛まれましたよ」

　逃れようともがけばもがくほど、首に絡んだ腕はしっかりと食い込んでいく。息苦しくなる前に抵抗をやめたほうがいいことは、彼にもわかるはずだ。

「気になりますか？　あなたのハイスクールの頃の親指のイミテーションなんて、私が何に使うのか。どうやって、使うのか。想像したのは、どんなふうです？　ねえ」

　彼の口の中で親指をかき回すと、ためらっている熱い舌に触れる。

　喉深くまで指を差し込むと見せかけて、彼を背後に引き倒し、組み敷く。畳の上に、赤い髪と藍の浴衣とが散らばる。

「でもいまはね、カーマイン。イミテーションにはそう興味はないんです」

　イミテーションの親指を取り上げて、本物の血の通った親指を付け根まで口に含む。

　逃げないよう歯を立てて、丹念になぶり、ゆっくりと引き抜く。唾液が細い糸を引いて滴る。

　つい数時間前の快楽を再び熾すには、ただそれだけのサインで足りた。

　とうにその気になった彼と、重ね合わせた腰から甘い疼きが伝わる。

「だって本物がいますから。私の目の前に」

　彼の親指に、もういちど接吻する。

　あの頃と同じ、清らかで敬虔な祈りに、恍惚と目を閉じて。

Fin.