キューティー・バニーは、地球の平和を守るため、マジカル四次元からやって来た美少女だ！　夢いっぱいのマジックで、マジカル怪獣をやっつけるぞ！

　みんな、バニーに会いたいかい？　うんうん、会いたいよなあ！　じゃあ、みんなで声をそろえて、バニーを呼んでみよう！　大きな声で呼べば、きっとバニーは来てくれるぞ！

　いいかい、声をそろえて『バニー！』だよ。行くよ、サンハイ『バニー！』……ダメだな、返事がない。声が小さくて、聞こえなかったみたいだぞ。

　さあみんな、もう一度、もっと大きな声で、サンハイ『バニー！』

◆

　客席から、子供たちの悲鳴が上がる。

　と言っても、歓迎の悲鳴ではない。ワーというよりギャーに近い、恐怖の悲鳴だ。

　俺はよい子のみんなが呼んだ『キューティー・バニー』ではなく、『怪獣・ガメーラ』なのだ。

　真っ黒い体に、トゲトゲのついた甲羅、額にもサイのような巨大なツノ。ガニ股で走り、体を水平にして飛ぶ。シリーズ初期のあまり強くはない怪獣で、何かというと人質を取って盾にする、卑怯な性格だ。

「ゲヒャヒャヒャヒャ！」

　ガメーラの笑い声は、エコーをつけて合成した声優の吹き込みテープだ。下腹に響く重低音の笑い声に合わせて、俺は体を揺する。

　ガメーラの着ぐるみは重い上に、きゅうくつで動きにくいので、体を揺するだけでも相当頑張らなければならない。最初から、走って跳んでの登場だったので、俺は既に汗だくである。

「くそっ、出たな！　怪獣ガメーラ！　でも僕たちにはキューティー・バニーがついているから、お前なんか怖くないぞ！」

　司会者が精一杯に胸を張る。

　今日のシナリオの司会者はなかなかに見せ場が多い。できれば俺がやらせてもらいたかったくらいだ。

　しかし、ずっしり重たいガメーラの着ぐるみを着て、跳んだり走ったりのアクションができる人材はそうそういないので、どうしても俺に回ってくる。ベテランゆえ、下手に着ぐるみアクションの特技があるゆえの貧乏くじだ。

「ゲヒャヒャ、怖くないのか？　それは勇敢なことだな」

　テープの笑い声に合わせて、俺はまた体を揺すり、司会者に詰め寄る。このとき、ヤンキーがインネンをつけるような、絶妙な角度に姿勢を折るのも初心者にはできない細かい職人芸である。

「では、これならどうかな？」

　怪獣ガメーラは、何故か司会者には背を向ける。そしておもむろに客席に跳び降りた。

　今日は、いつもにもまして走ったり跳んだりが多く、かなりしんどい。だが、ガメーラがしんどいそぶりを見せるわけにもいかないので、俺は偉そうに胸を張った。

　そして、手近の男の子を選んで抱き上げる。

「あっ、ガメーラ！　その子を離せ！　人質を取るとは卑怯な！」

　ただ単に子供を抱っこしただけなのだが、司会者が青筋を浮かべて責め立てる。

　つまり、何かというと人質を取る、ガメーラの常套手段というわけだ。

　ちなみにこのとき、うまく協力してくれそうな、なおかつのめり込みすぎない子供を見抜いて選ぶのがコツだ。リアクションが薄すぎても困るが、あまりにも抵抗されたり、保護者が心配するほど泣かれても困る。

　だが俺が今日選んだ子は、どうもほどよい当たりではなかったらしい。

　バニーの絵がプリントされたトレーナーを着込んだ男の子は、客席にいるときから、こぶしをぎゅっと握り、俺をにらんでいた。そして抱き上げるなり、ものすごい勢いで暴れ出したのである。

　まず、耳をつんざく奇声を上げる。そしてめちゃくちゃに手足を振り回す。興奮しているために正確な狙いはないが、その分予測不能なタイミングで俺のアゴや腕にヒットした。子供の力で、着ぐるみ越しとはいえ、衝撃はそれなりにある。

　挙げ句、そのうちの一発が、俺の金的に命中しやがった。痛いと思うより先に、キーンと突き上げた衝撃が俺の体をくの字に折り曲げた。

　あやうく漏れそうになった悲鳴を涙と一緒に飲み込んで、俺は男の子を顔の前に抱き上げる。顔を殴られ放題になるが、下半身を攻撃されるよりははるかにマシだ。

　アクション俳優にケガはつきものだが、火傷や刀傷ではなく、無邪気な子供に金的を蹴られるというのは情けない。下腹部に残る衝撃の余韻もあいまって、ついつい涙がにじむ。

「くそっ、あの子を助けるにはいったいどうすればいいんだ！」

　ガメーラのマスクの下で半泣きの俺の苦悶をよそに、司会者は相変わらずの熱血芝居を続けている。

「ゲヒャヒャヒャヒャ！」

　そしてテープの吹き込みのガメーラも卑怯な怪獣を熱演中で、俺は人質の足を慎重に下半身から遠ざけながら、笑い声に合わせて体を揺すった。

「ああ、こんなときにバニーがいれば！　バニーならきっと何とかしてくれる。みんな、力を貸してくれ。もう一度、マジカル四次元にも届くような大きな声で、バニーを呼ぼう！」

　たっぷりともったいつけてから、司会者が再び会場に呼びかける。まあ会場は最初からバニーを呼ぼうとしていたわけで、しつこいジらしは着ぐるみショーのお約束である。

　と、会場の歓声に触発されて、人質の子供が、ますます興奮して暴れ出す。

　下半身の痛みに耐えながら、顔を殴られ続けるのも辛いが、シナリオ上ここで人質を投げ出すわけにもいかない。

　早くバニーに助けて欲しいのは、人質の子供よりむしろガメーラの中の俺のほうである。

「じゃあ、みんな、声を合わせて！　サンハイ『バニー！』」

　三度目の呼びかけに、ようやく軽快なテーマ曲が流れ出す。マリンバを多用したリズミカルな曲が、我らがキューティー・バニーの登場の合図だ。

　セットの屋根の上で、軽い爆発音とともにピンクの煙が上がる。

「ガメーラ、その子を放しなさい！」

　煙の中からさっそうと姿を現したのは、会場中の子供たち、そしてガメーラの中の俺が待ちわびていたキューティー・バニーその人である。

　煙を分けて最初に見えたのは、ぴんと立った二本の長いウザギ耳。続いてピンクのゴーグルの左右にふわふわの毛玉のついたマスク、胸元の大きなリボン。二つの丸い胸当ての下は、これまたふわふわしたマイクロ・ミニ丈のワンピースに、白いスパッツと膝上までの白いロング・ブーツ。

　強烈なコスチュームのバニーに、会場中が目を奪われる中、バニーは華麗に屋根から飛んでステージに降り立った。

「キューティー・バニー、参上」

　ピンクのステッキを頭上にかざし、凛と響く声で名乗る。バニーの声は、もちろん本物の吹き替えである。

　わっと、会場中が歓声を上げた。

　ガメーラである俺は、本来バニーの登場を疎まなければならないところだが、いい加減この凶暴な人質から解放されたかったので、心底ほっとした。

　それに、もともと子供の頃からの憧れでこの世界に入り、ヒーローにはなり損ねたが、怪獣として年季を重ねた俺だ。世間一般でいいトシと言われようと、子供たちの夢を背負った正義のヒロインの登場シーンがピタリと決まれば、拳を握って痺れずにはいられない。

「マジカル怪獣・ガメーラ、お前はこの世界にいてはいけない。今すぐマジカル四次元に帰りなさい」

　厳しい口調で呼ばれ、ステッキの先を向けられて、俺は心身をふるわせる。バニーに叱責される怪獣ガメーラの体と、ヒロインの勇姿に酔いしれる俺自身の心とだ。

「現れたな、キューティー・バニーめ。そう毎度毎度貴様にやられてなるものか。こっちには人質がいる。ゲヒャヒャ、どうだ、手出しできまい！」

　ガメーラは精一杯に虚勢を張る。毎度毎度人質を取って、それでもあっさりやられるのが悪役・ガメーラの愛すべき間抜けさなのだが、本人には自覚がない。会場の子供たちも、ガメーラのことは悪いヤツだとだけ思っているのか、息を詰めて見守っている。

　だが今日はバニーだけが、口元をにっとほころばせた。

「じゃあ、まずはその子を返してもらうわ、ガメーラ」

　ピンクのゴーグルの下で、ちかりと八重歯が光る。

　俺は、瞬間感動した。シナリオには、バニーの表情についてのト書きはない。昨日までのバニーなら、怒りを込めて高圧に言い放っていた箇所だ。だが今日のバニーは違う。まるで愛すべき子供の悪戯に挑む母親のように、勝ち気に微笑んだのだ。

　実際、今日のバニーは昨日までとは別人である。

　バニー役をやるはずだった女優さんがリハーサル中にセットから転落、骨折したため、急遽代役が駆り出された。わずか本番の三十分前のことである。

　バニー役は、ウサギ耳つきのゴーグルをつけてのアクションができて、その上仕掛けの手品もこなさなければならない。そのへんの女の子にぱっとできる役ではない。

　いったいどこで見つけてきた誰なのか。

　彼女は到着するや、慌ただしく裏でキューティー・バニーのコスチュームを着せられ、俺が顔を合わせたときには、ウサギ耳と毛玉のついたゴーグルに素顔を隠していた。

　相手役よろしく、と右手を差し出した俺に、彼女は黙ったままにっと微笑んで見せた。ほっそりした華奢なアゴに、収まりきらない小さな八重歯がほころぶ。

　この頃はもう、八重歯は矯正するのが当たり前だが、ちょっと年代の古い俺には、往年のアイドルを思い出させる甘酸っぱいアイテムである。

　その瞬間、俺は素顔を見たこともないバニーのために、何としてもこのステージを成功させると決意した。

　スーツ・アクションのヒーロー・ショーは、傍目に見るほどほど楽じゃない。視界を遮るゴーグルに、動きにくくバランスの取りにくいスーツ、事細かな段取りと、火薬を扱う危険な仕掛け。本番三十分前にバニー役を任されたばかりの彼女が、失敗なく立ち回れるほど甘くはないのだ。

　だからこそ、ベテランの俺がフォローをする。バニーがキックの左右を間違えれば蹴り出された足へ飛び、仕掛けに失敗すればガメーラの咆哮で誤魔化してやる。　客から見れば敵対するガメーラとバニーだが、その着ぐるみの中の俺と彼女とは、息を合わせ、力を合わせる協力者なのだ。俺のガメーラと彼女のバニーとで、何としても子供たちに夢を見せてやる。

　この代打バニーは、何故だか一目で、そういう熱い気持ちに俺を駆り立てた。

　そしてステージの上でも、バニーは不思議な魅力を発揮した。

「バニー・マジック・マント！」

　バニーが高らかに叫んで、ばさりとマントを広げる。

　バニーの衣装には、もともとマントはついていない。いまマジックで取り出したのだ。真っ白なマントのふちにはふわふわの羽飾りがついて、高く頭上に広げると天使の羽のようだ。

「バニー・変わり身・マジーック！」

　不適に微笑んだバニーが、マントをひるがえしながらガメーラに近づく。一歩、二歩、三歩。ここで、ハープをかき鳴らす効果音。

　すれ違ってバニーがマントを降ろすと、人質の子供はいつのまにか、バニーの腕に抱かれている。バニーの変わり身・マジックが成功したのだ。

「うぬっ、やられた！　バニーめ、こしゃくなマジックを！」

　ガメーラが地団駄を踏み、観客がどっとはしゃいで手を叩く。人質の子供も、ガメーラに捕まっていた間の凶暴さがウソのようにおとなしくなって、うっとりとバニーに見とれている。

　何のことはない。マントの陰で子供を受け渡ししただけだ。ガメーラである俺から、バニーである彼女へ。

　だがそれが、演出上はガメーラから人質を奪い返した、バニーの変わり身・マジックのように見えるだけだ。

　いや、そう、見せたのである。お約束の効果音と、マントの陰でしか動かないガメーラの素早さと、観客の目を自在に操るバニーのマントさばきとで。バニーはたしかに、意図的に観客をマントに注目させ、その隙に受渡しをした。単なる段取りを超えた、マジックだった。

　このバニー、いよいよ素人ではない。こういったショー、とにかく人の目を操ることに長けている。

　ショーは一方的に見られるものではない。演じる者の技量で見せるのだ。小さなアクションで観客の期待を誘い、観客が見たいと思ったものを、次のアクションでステージ上に実現する。観客の期待をショーの仕掛けに近づけておけば、演出はぴたりと決まる。その最初の誘いが、このバニーは絶妙なのだ。

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