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　奇術師がまだ魔法使いとしてもてはやされていた時代、私はとあるデパートのオープニング・イベントに呼ばれた。

　好景気と呼ばれたその頃は、まるで雨後の竹の子のように、デパートが次々と新店舗をオープンしたものだ。世の中全体がまるでお祭り騒ぎに浮き足立ち、夢を売って生業にしているような私たちは、連日連夜あちこちに引っ張り出された。空高く上るアドバルーン、花飾りのついた垂れ幕、テープカットに降る紙吹雪。古きよき時代の景色には、にわか仕込みの魔法使いたちの棲みかがあった。

　その日のステージは、華々しいメイン・セレモニーからは外れていたが、玩具売り場と同じ会にセッティングされていた。親に手を引かれ、或いは肩車された子供たちの声が響き、むしろ階下よりも賑やかではあっただろう。

　だがそれは当時の私には、少しばかり辛い光景でもあった。あのとき掠めた苦々しい胸の痛みは今でもまざまざと思い返すことが出来る。

　人ごみに圧倒された素振りで立ち止まり、奇術師の衣装のマントの中で、静かに手を握りしめる。握り返してくる小さな手の温かみは、そこにはない。

　孫の絢子は、もうずっと小さな頃から私とは手をつながない。私が手を引いて、奇術ショーに連れ出したその日、彼女の両親は揃って亡くなったからだ。高速道路での事故だった。

　驚くほどあっけない息子夫婦の死に、私はなす術もなくただ狼狽したが、幼い絢子は過敏に反応した。

　おじいちゃんのショーに行っている間に、お父さんとお母さんはいなくなってしまった。だからもう、人を消したり出したりするようなおじいちゃんのショーには二度と行かない。

　子供ながらに明確な論理だったのだろうと思う。

　その後、私が育ての親となったが、絢子は私の生業である奇術には一切、関わろうとはしなかった。それどころか、平然と奇術を続ける私のことさえ、疎んでいる節がある。

　だから、当たり前に手をつなぐ親子連れを目の当たりにすると、もう親を持たなくなった絢子と、孫に疎まれる自分とへの憐れみとで、苦い思いにとらわれる。

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　幸福そうな親子連れを一人で掻き分けて行く勇気を持てず、人の流れに取り残されていたのはわずかに数秒だったが。

　立ち竦む私の足下に、小さな生き物がまつわりついた。ぶつかった反動で人ごみの中へよろけようとするのを、危うく捕まえれる。まだ年端も行かない、男の子である。

　背は私の腰までの高さもない。息を切らしているところからすると全力で走ってきてぶつかったのだろうが、羽のように軽い感触だった。まだ作りたての骨格は、手荒く触れれば壊れそうに脆い。

「おじいさん、お願い、オレを隠して！」

　だが小さな子供は、大人に有無を言わさぬ強い口を聞いた。大きな目に、いっぱいの涙をためて、けれど思いがけぬ強さで私を睨み上げて来る。

　やぶから棒に、いったいどうしたんだ坊や、と声をかけるよりも早く、その子は捕まえていた私の手をすり抜け、マントの下にもぐりこんだ。さらに背中へ回り込んで、しっかりとしがみつく。

　私としたことが完全に真後ろを取られた形になった。小さいからだにぴったり貼り付かれると、そう簡単に引き剥がすことも出来ない。少なからず、私は困惑した。

「あのう、すみません」

　そこへ、声をかけられた。

　三十前後と思われる女性が、息を切らして私の前に立っている。

　私は思わず、微笑した。私の背中に隠れた子供の母親だろう。ぱっちりした大きな目元がそっくりで、一秒と眺めずに親子とわかる。

「このあたりで、男の子を見ませんでしたか。背がこのくらいで、目の大きな」

　母親もまた、大きな瞳に涙をためていた。

　さては、悪戯でもして母親から逃げて来たのだろう。だがこの混雑ではぐれたりしたら大変だ。お母さんはこんなに心配しているのに。

　その子なら……言いかけて、私はウッとうめいた。私の背後にしがみついた子供が、臀部の皮をしたたかにつねったのだ。そう力はないのだが、小さな指では肉を掴めなかったのだろう、皮だけをよじられるとさすがに痛い。

「お母さん！」

　その一瞬の隙をついて、子供の声が母親を呼んだ。

　声は私の背後からではない。私の正面の、やや高いところからだった。

「千春、どうしたんだ。急に走り出したりして、はぐれるじゃないか」

　人ごみを掻き分けて、ご主人と思しき男性が現れた。がっちりとたくましい肩に、男の子を肩車している。

　母親を呼んだのは、今にも泣き出しそうに真っ赤な顔をしたその子だろう。年のころは三〜四歳、私の背後に隠れている子供よりも幼い。

「あなた」

　母親は、はじかれたようにそちらを振り返った。

「ほら、千春ママがいなくなるから、大輔が泣き出しそうじゃないか。

　一人っ子の甘えったれときたら、男の子なのにすぐベソをかく」

　父親は苦笑いしていたが、子供は既に半分泣いている。

　母親はわずかにためらい、手を伸ばして子供を抱き取った。すっかり背を向けて、まるで私になど声をかけなかったような仕草にも見える。

　大輔くんは、ますます赤くした顔をくしゃくしゃに歪め、母親の腕の中で安心したようにぐずりはじめた。よしよしとやさしく揺さぶられながら、じいっと母親の目を覗き込んで離さない。

「ママ、よその子を追いかけて行ったりしちゃイヤだよ」

　思いがけない言葉に、傍で聞いているほうがぎくりとする。

「まあ、何を言っているの。ママはそんな……」

　困ったような笑みを浮かべ、母親は続きの言葉をはぐらかした。

　父親はまるで気付いていないようだったが、私はどうしたものかと目を瞬かせた。私の背後に取りすがっている子供は、ぎゅうっとしがみついて震えている。

　母親の追いかけた「よその子」は、たしかにここにいるのではないか。

　だが父親は笑ったままでむこうを向き、子供を抱いた母親もそれに続いた。刹那、私に目だけで会釈をしたものの、それきり人ごみの中へ消えてしまった。

　ごくありふれた親子連れの姿が見えなくなってから、私はマントの中の男の子を取り出した。大きな瞳いっぱいに浮かべた涙には、いく筋か流れた跡ができている。

「今のは……坊やのお母さんじゃなかったのかい？」

　私が尋ねると、その子はぐいと袖口で涙を拭き、きっぱりと首を横に振った。

　それ以上は聞かずとも、事情は薄々察せられた。小さな子供に話させるには、いささか酷な類の事情だろう。

　だが彼は、赤くなった目で私を見上げ、はっきりと言った。

「オレの母さんだよ。

　でも今はもっと小さい子のお母さんだから……人ごみに隠れて、その子のふりをして、手をつないだりしちゃいけなかったんだ。それでお母さん、オレの顔を見てびっくりして、追いかけてきたんだよ」

　私は言葉に詰まった。小さな胸に持て余すほどの複雑な感情を抱えたこの幼い子に、何をどう話し掛けてよいものか、ためらいながら口ひげをもぞもぞとしごいた。

　が、当の本人は涙を拭っただけで、赤い目にけろりとした表情を作り、

「ところでおじいさん、何の人？マント着てるなんて、宇宙刑事の仲間？それとも真っ黒だから怪人のほう？」

　きわめて子供らしい無邪気な発想に、私はほっと口元をほころばせた。

「いやあ、ちがうよ。私は奇術師さ。ほらね、こんなふうに」

　目の前で握り、再び開いた手のひらに、大きな棒つきキャンディを取り出してみせる。

　そうして、無邪気な笑顔を見せるこの小さな気遣いやさんが、私の話しやすいネタを振ってくれたのだということに気づき、私はこっそりと舌を巻いた。

「坊や、じゃあ坊やは誰と来たんだい？」

「おじさんとおばさんとミヤちゃん。父さんは遠くの病院に行ったから、退屈だろうって連れてきてくれたの」

　さっきまで泣いていたであろうに、声にはその余韻もなく、返答はむしろ事務的とも言えるほどはきはきしていた。

　内心は言葉ほどに淡々としているはずがない。他人である私に甘えまいとする、健気な強がりなのだ。

　天使の輪をいただいたその子の髪にそっと手を載せる。子供の髪はやわらかくて、小さな頭骸骨を守って頼りない。そういえば孫の絢子の髪も、かつてこんな手触りだったと思い出す。

　この子はまだ本当に幼いのだ。母親でなくとも、おじさんとおばさんとやらがさぞかし心配しているだろう。

「じゃあ、おじいさんが着いて行くから、お店のお姉さんに頼んで、おじさんとおばさんを探してもらおうね」

　迷子預かり所へ連れて行くつもりで、私はその子の手を引いた。

　だが男の子は思いがけない頑強さで、その場を動こうとしなかった。身替わりのように、さっき渡した棒つきキャンディが突き出される。

「おじいさん、これからこのアメよりもすごいものを出すんでしょ？だったらオレ、それを見たい」

「でも、おじさんとおばさんが心配しているだろう？」

　困惑する私の問いに、その子はにっこりと笑った。まるで邪気がなくて、それでいて大人なんかすぐに煙に巻いてしまえる、子供特有の笑い方だ。

「おじさんおばさんはミヤちゃんのお人形の服を買いに行ってて、オレはお人形よりも宇宙刑事見てるって、ここで待ってるの。大丈夫、もうすぐ迎えに来るから」

　そういえば、奇術ショーの前のプログラムは特撮ヒーローの握手会だったはずだ。この混雑はその名残というわけだろう。

　それにしても、この人ごみの中にこんな小さな子を一人で置いていくというのはちょっと考えにくい。本当に、ここへ迎えに来るのだろうか。

「あのね、坊や……」

　目の高さに屈んで、詳しい事情を聞き出そうと試みる。だが、そこで私が呼ばれた。

「ああ、ミスタ・迫田！遅かったですね。探しましたよ。ステージはこっちです。もう、仕込みを始めないと間に合わないでしょう」

　慌てた様子で駆け寄ってきたのは、私をステージに招いてくれた、フロア担当のマネージャーさんだった。

　私は仕方なく振り返り、売り場の時計を見て驚いた。たしかに、マネージャーさんが慌てる時刻になっている。ここまでの道路も混んでいたし、エレベーターがなかなか来ず、デパートに入ってからの移動に何と言っても時間がかかっていた。

「これは、すみません。すぐに支度にかかります」

　身を起こしたものの、握ったままの男の子の手が私の足を止めた。このまま、置いて行くわけにもゆくまい。

　私は逡巡し、その子を抱え上げた。左手には小型トランクを持っていたから、右手一本だったが、子供の体重は予想していたよりもはるかに軽かった。

「何です、その子は？」

「私のショーのお客ですよ。ショー会場で、お連れさんと待ち合わせらしい」

　曖昧な説明をする。マネージャー氏はハアと不審そうな相槌を打ったが、それきり何も聞かなかった。ショーの時刻が迫っている。この子は、後で迷子預かり所へ届ければいい。

　この子のおじさんとおばさんとやらが探しているとしたら、随分勝手な言い分だろう。

　だがそれでも、幸福な親子連れでごった返したこの場に、一人ぼっちのこの子を残していく気には、私はどうしてもなれなかったのだ。

ｎｅｘｔ．