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て

わ

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の

よ

う

に

　おいらはさっさと、あの赤提灯までの道を聞いて、勘定を済ませて家に帰って眠りたかったのだが、すぐ眠りたいということはそれだけ疲れていたということでもあり、実際のところ歩く元気もなかったのだ。それで少々の甲高さが耳障りながら、小鳥のさえずりのように聞き流すことのできる、陽気な手品師君のおしゃべりの洪水に身をゆだねていたというわけだ。

「あの、聞こえてます？とびしまさん」

　こいつ絶対、おいらの名前の漢字忘れただろう、と思われる幼稚な響きを向けられ、はっとする。

「ああ、うん。それで？」

　適当に相槌を打つ。君も客商売なら気遣いたまえよ、相手の疲労度くらい、手品師君。

「だから訊いているのは俺ですよ。その、指輪いいですねって。とびしまさんのデザインなんでしょ？」

　へ？おいらは指輪なんかしていたのだっけかな。

　指先を見やると、おいらの右手は、手品師君の両手にしっかりと握られていた。

「きれいな石。俺ね、光りモノって実は相当好きなんですよ。お金ないから勿論眺めるだけですけど、光を集めて透かして、ほんの少し角度が変わるだけで色まで変わって、不思議ですよね。

　へえ、これ、つるばらなんだ……前に見せてもらったビックリ箱についてたのと同じモチーフ。繊細なつくりですね、何だか壊れそうな。なるほど、とびしまさんのイメージかな」

　げふっとおいらは凍りついた。完璧な、それこそダビデ像のような美貌のおいらのことだ、きれいですね、とか端正なお顔のつくりで、とかは大概言われ慣れている。しかし、壊れそう等と言われたためしはついぞなく、しかもガキだろうが阿呆だろうが、男に手を握られながらそういうセリフを囁かれるのは、恐怖以外の何事でもない。

　……忘れていたが、こいつはミキモトプリンスのお稚児さんじゃないか！おいらとしたことが何とうかつな、何と危うい罠に陥ったものか！

　瞬間的に総毛立った腕を引っ込めようとしたが、お稚児さんは存外にしっかりと押さえ込んでいて、びくともしない。ああ、昼間、腕に震えが来るまで研磨なんかするんじゃなかった……。

「は、離せ！離せば逃げる、いや話せばわかる。おいらいや私はその、つまりそういうつもりはだな、きみその、ハルミ君、……うひいっ」

　お稚児さんの吐息が、温かく指先をかすめた。こいつ、いったいナニをしやがる気だっ！？

　だがお稚児さんは接吻しそうに近づけた顔をふいとおいらの手から離し、こちらに向けた。何も考えていないような笑顔は、いつの間にか消えていた。

「……疲れてるんでしょう？」

　へ……？憑かれてる？おいらが、ナニに？いや疲れているの間違いか……？

「とびしまさん、とても疲れてるんでしょう？ここに嵌め込んだ石が曇ってます。いろいろ、無理してるみたいだ」

　お稚児さんは、心配げに眉を寄せた。

　しかし石が曇っているだと？ジュエリーデザイナーとしては、それは由々しき事態だぞ。ナニはともかく確認せねば。

　おいらはお稚児さんに握られたままのおいらの指先を、とにかく覗き込んだ。

　何が楽しくて男二人で取り合った手、を角突き合わせて見なきゃならんのだ、とはちらりと思ったが、致し方ない。おいらはジュエリーデザイナーの本能を優先するのだ、何しろ天の与えたもうた本能なのだ。

　指輪は、見たこともないデザインだったが、おいらのよく知っているデザインだった。この世のどこにも現存しないが、他ならぬおいらの頭の中にあるはずのものだったのだから。

　工房に出入りするマダムの一人が持ち込んだ石に、妙に気になるものがあった。石そのものはありきたりの無色のクリスタルで、天使がそれを抱いたモチーフのブローチになっていた。質のいい石悪い石というのはたしかに存在するのだが、それとはまた別に、石自体の持つ雰囲気がおいらの波長にぴたりと合うことがる。持ち主のマダムは、デザインに飽きちゃったからリフォームしようと思って、何かいいデザインない？と仲間内に訊いて回っていた。

　部屋に入ったときから何となく予感していたのだが、テーブルにカモミールティーを並べていたおいらにもついでのように見せられて、その瞬間、脳裏ににビビビッとデザインが閃いた。声なき石の声、とでも言うべきか。

　デザインするなら指輪がいい。金のつるばらを絡めて、光が交錯するようにして、傷ついて曇りかけたクリスタルはうんと磨いて。大味の板状の指輪なんかに嵌め込むんじゃダメだ。おいらの得意のつるばらを、うんと細く華奢に編み上げて。

　しかし甘い陶酔はわずか数秒で、それは別のマダムの手に渡った。石を手にしたマダムが、得意げに自分の思い付きをしゃべりだす。おいら的にはまったくイケていないデザイン構想だったが、そんなふうにすぐに口に出せることがとてつもなく羨ましかった。

　おいらは盆を下げて作業場に戻ってから、忘れないうちにとデッサンを描き付けた。が、勿論それ以上は何の進展もあるわけがない。何しろおいらは工房の仕事と自分の勉強とマダムの接待とで忙しくしていたし、だいだいあの石は有閑マダムの持ち物で玩具なのだ。貧乏デザイナーの手の届くシロモノでもない。そうして胸の隅っこに引っ掛けたまま、そのままにしていた。

　と、いうのに。

　いったい何でその石が、思ったとおりにデザインされて、おいらの指なんかにはまっているのだろう。

　それに薄ぼんやりと雲って。リフォームするなら、まずは石からきれいに磨くべきだろうに。こんなにきれいな石なのに。透き通ったクリスタルなんて似たように見えるが、やっぱり一つ一つの石には表情がある。その石に合った削り方をじっくり吟味しなくては。冷たい石肌に触れて、光に透かして、ああ、すぐに帰ってこの石を磨き直したい！

「……とびしまさん、帰りたくなってきました？」

　耳元に囁かれ、おいらは思い切り身を引いた。今度はお稚児さんの束縛からあっさりと手が抜けて、反動でおいらはひっくり返る。

　転がったおいらを見下ろすお稚児さんは、またあの何も考えていないような微笑に戻っていた。

「だから、さっきから、おいらは疲れてるんだっつの！早いとこ赤提灯の勘定済ませて、一眠りして、工房へ帰りたいって何度も言ってるだろが！」

　おいらは飛び起き、ブチ切れて怒鳴りつけたが、お稚児さんはにこにこしたまま首を傾げてみせる。可愛い素振りしたって、おいらには効かないっつの。

「あはは、すっかり地が出ましたね。『おいら』だって。とびしまさんたら銀髪の碧眼なのに、変なのー」

　そのまま子供みたいにキャッキャッと笑い出す。サルか、オノレは！くそう。

「だいたい、ここに来たがったのはとびしまさんでしょうに。帰りたいなんて、いま初めて聞きましたよ。

　俺は何となく呼ばれたような気がしたからここに来ただけで、それで怒鳴られるなんて心外だなあ」

　なにっ、おいらがいつここに来たがって、貴様を呼んだだと！？おいらは人差し指を突き立てて反論しかけたが、気勢を殺いで、ヤツに右手を再び握られた。

　はっ、離しやがれ、気色悪い！

　さっと蒼ざめたおいらに、角度によって色の変わる輝石みたいな瞳をきらりと光らせ、お稚児さんが微笑を投げかける。だからその、クリスタルよりもよっぽど澄んだ瞳においらを映して、人間離れしたような表情になるはよせっつの、怖いから！

「いやー、本当に妙な誤解したままなんですねえ。きっぱり否定するつもりもないけど、その気のない人に手を出すような無粋はしないってとこくらいは汲んで欲しいなあ。

　……それとも、とびしまさん。その気になりそうで怖いとか？」

　なっ、何をぬかすかっ！？とにかくその手を離してくれえ！

「ま、いいことにしますか。こんなとこまで呼んでくれただけでもありがたいことですしね。

　ほら、帰りたいなら、立ってください」

　そのまま手を取って、おいらを起こす。自分の身体と一緒においらの身体を立たせるとは、思ったより力があるな、このお稚児さん。うーむ、いざとなったらおいらのほうが腕力があるだろうと油断していると、後ろの貞操がやばいかもしれん。以後気をつけよう。

「さあ、この指輪の水晶を覗き込んで……赤提灯が見えてくるでしょう」

　はあ？何も見えんぞ、いくらなんでも。占い玉じゃあるまいし。って、……おお？たしかに赤っぽいものが見えてきた気もするが、曇って滲んだあれが赤提灯なのか？

「そしたら言うんです、『おやじ、お勘定』って」

　おいおい〜、何だよそりゃ！脱力して崩れかけたおいらだったが、またも握られた右手がそれを許さなかった。

「またいつでも呼んでくださいね。また空に投げ出されちゃったときとか助けますし、疲れたときの話し相手くらい、なれますから」

　何言っているんだかよくわからないぞ、坊主。

「善良なるとびしまさんに、たまにはほんの少しくらい、いいことがありますように」

　時おり剣呑な光をはらむ瞳に瞼をかぶせて、小僧が十字を切る。あのな小僧、あんまりうれしくないぞ、そのまじない文句。

「さあ、とびしまさん。あなたがきちんと言ってください『おやじ、お勘定』って」

　ぱっちり開いた目に、にこにこと覗き込まれる。

　並んで立つと、あきらかにおいらより背が低いし、笑顔に邪気はないどころか何も考えていないように見えるのだが、相変わらず不気味に怖いやつだ。

「言うって、その、『おやじ、お勘定』？そんなもんで……」

　続きは到底言えなかった。

　セリフの途中で指輪の水晶から一筋の光が飛び出して、おいらの視界を真っ白に塞いだのだった。

◆

　飛び起きると、目の前に人のいい顔が笑っていた。

「あいよ、起きてくれてよかったよ、はじめちゃん。うちもそろそろ店じまいだ。腰痛持ちのあたしゃ、アンタ担いで歩くの、もうこりごりだかんね。置いていこうかと思ってたよ」

　なじみの、赤提灯のおやじである。

　おいらはおでんの皿や串焼きの串やらをきれいによけて、屋台の狭いテーブルに突っ伏していた。背のない椅子を並べただけの、隣りの席は空である。

「さ、お勘定。若いのに、あんまり無茶な飲み方するんじゃないよ。いろいろ、疲れてたまってるみたいだけどサ」

「あ、ああ……ありがとう。ご馳走さま。

　っと、おやじ、その、今ここにお稚児さんがいなかったかな？細くて背が小さくて、バカみたいにニコニコ笑ってるような」

　おやじはしわの寄り始めた口元を歪めて、でへへと笑った。

「マンガみたいな寝ぼけ方だね、はじめちゃん。ちゃあんと家まで帰れるかい？」

　おやじときたら、ハナからそんなのはいない、という口ぶりだ。まあ、道理だろう。ここはガード下の屋台で、終電も終わるような夜中なのだから、そんなガキがよりにもよって赤提灯の下なんかにいるわけがない。

　おいらは乱れた髪を撫でつけ、家路をたどり、風呂に入ってごく普通に就寝した。

◆

　翌日、一人のマダムがえらく早い時間にやって来た。オーナーは店のほうに出た後で、召集役の奥様は、衣装チェックに余念がないらしく、まだ顔を見せていない。

　約束より早く来るというのは、常識的には大きな迷惑だということを、上流階級にもわかってもらいたいものである。おいらはとにかくソファを勧め、茶を出した。笑顔まで添えてしまう自分がちょっと許せない。

　その耳に、マダムがこっそりと囁いた。

「ごめんなさいね、早くに。実は飛島君のデッサン、見ちゃったのよ。作業場へ行ったら、ノートが開きっぱなしになっているんですもの。つるばらの、指輪。

　それでね、この前のクリスタルのリフォーム、飛島君にお願いしたいの。勿論ちゃんとお金は払うし、試験で大変なのはわかってるわ。少し先になってもかまわないから」

　おいらは瞬きを数回し、それから喜んでお受けします、と答えた。

　断る理由があるわけがない。あの石を、おいらが磨けるのだ。

　善良なるおいらにも、たまにはほんの少しくらい、いいことがあるものだ。久方ぶりに、自分の頬に抑えきれない笑みが込み上げてくる。いかん。これではあの何も考えていないお稚児さんのような笑い方になってしまう。

　咄嗟に思ったが、既にどうしようもないことだった。

Fin.