コタツ・テーブルの上に無造作に置かれた、このファンシーなアイテムを、・誰がゴースト退治の武器だと思うだろうか。まるで少女向けカー・トゥーンに出てくる魔法のステッキである。サンディーは冗談抜きに、安物アクセサリー・ショップというか、チープな雑貨屋で調達したアイテムの寄せ集めで、この武器を組み上げたのだった。

　ピンクのステッキは、まさに子供向けのおもちゃ「魔法のステッキ」の改造品である。もともと先端に埋め込まれていたプラスチック・ジュエリーを抜いて、リンゴに入れ替えたのだ。

　リンゴ型の石は、トルマリンである。部屋に置いておくとマイナスイオンを発生させる、リラックス・インテリアなのだそうだ。

「ミスタ・ブラッドが使うにはちょっと可愛らしすぎるステッキですね」

　リンゴを指先ではじいて、サンディーが苦笑する。リンゴ型のトルマリンは、カギ爪の中でクルクル回転した。振動で簡単に回せるよう、中に回転軸が仕込まれている。

「こうして回転させると、微弱な電流が発生します。カギ爪はアルミで電気を通しますから、触れるとちょっとピリッっとしますネ」

　差し出された先端に触れると、たしかにほんのわずかだがピリッとする。痛みを感じるほどではないが、皮膚の下で神経がヒクリとはねる感じで、ちょっとしたサプライズにはなるだろうか。

「こんなもんでレディ・ゴーストは昇天できるワケ？」

　拍子抜けするほどチープな作りに、つい確認する。

「見た目はともかく、原理は祖母が使っていた装置と同じですネ。事前にテストできればいいんですが、実験に協力してくれそうな知り合いのゴーストがいますか？」

　淡々とサンディーが答える。このあたりの冷静さは、やっぱりアカシと同じ科学者だ。一介の探偵の知り合いに、ゴーストなんかいるわけがないじゃないか。

「いや、いい。信じるよ、サンディー」

　両手を振って、俺は降参する。

　と、サンディーは頬に悪戯っぽい笑みを浮かべ、俺の手首を取った。

「それとこちらはオマケです。ただの飾り紐ですが、魔除けになるよう念を込めました。インドのお守りで、ラキって言うんですヨ」

　説明しながら、俺の手首に巻き付けてくれる。赤い絹糸を紐状に束ね、黄色のビーズ石を一つ通しただけのものだ。まじない物らしい鮮烈な赤が、目に眩しい。

　と、その赤の上に影が落ちた。

「食事の支度ができましたが」

　顔を上げると、アカシが盆を持って立っている。いつも通りのポーカーフェースだが、下から見上げるせいか、険悪に見える。

　というか、コイツは何でいつもタイミングが悪いのだろう。今回は別に、俺からサンディーの手を握ったわけじゃないのだが。

「あ、ちょうどいいところへ」

　サンディーがぱっと立ち上がり、今度はアカシの手首を取る。

「こっちはドクター・アカシの分。魔除けの紐ですヨ」

　怖い物知らずのサンディーは、機嫌の悪いアカシの手首にも赤い紐を巻き始めた。

　俺は横から手を出して、アカシから盆を取り上げ、天プラの盛られた皿をテーブルに並べながら、ついでにピンクのステッキを座布団の下に隠した。

　感情が顔に出ないというアカシの性質は、便利に見えて、実はいろんな場面で損なんじゃないだろうか。

「サンディー、宗教や神秘を否定するつもりは毛頭ありませんがね、あなたがこんなに非科学的な人とは知りませんでしたよ。ところで箸は使えますか？」

　いきなり、現実的な食事の話題になる。アカシはどこまでも現実主義者らしい。

「ハイ、おハシ、使えます。ドクターのお料理、おいしそう！　そういえば私、おなかが空きましたヨ」

　サンディーもいつまでも引っ張らない。頭はもう、空腹という現実問題に切り替わったらしい。アカシに向かって、満面の笑顔で合掌する。

　それを見て、アカシも頬をゆるめる。

「さあ、座って。カーマイン、味噌汁を運んでいただけますか。私はご飯をよそいますから」

「はあい、私も手伝います！」

　陽気なサンディーの宣言で、険悪なムードはうやむやに消し飛んだ。

　一見とっつきにくいアカシとつき合うコツは、物事をあまり深く考え込まない気軽さと、喜怒哀楽の感情や食欲や性欲の欲求を素直に出して見せることだ。

　すなわち、俺がそういう人間なのだが、案外サンディーも似たようなタイプらしい。

◆

　夜のパークは静かで、昼にはかすかだった小川のせせらぎや虫の声が聞こえてくる。時折蛍が夜を横切り、街灯に照らされたベンチでは、カップルたちが愛を囁き合っている。

　その真ん中を、まだあどけなさの残る少女と男二人とで歩くと、どうにも浮いている気がするのだが。

「あの、私やっぱり残ってゴースト退治に立ち会いますヨ」

　せせらぎに紛れて、サンディーが俺にヒソヒソと耳打ちする。

「何の話ですか、サンディー？」

　口調は穏やかだが、アカシも俺に寄ってきて話に混ざろうとする。これではまるで、男女三人の痴話喧嘩の図だ。それも、俺を挟んでの。

　夜のデートスポットで、このアンバランスな三人連れはただでさえ目立つというのに、もうちょっとさり気なくふるまえないものだろうか、この無粋な科学者たちときたら。

「いいよ、大丈夫だって。サンディー」

　両側から詰め寄ってくる二人の間をすり抜けて、俺は手近な車止めにひらりと飛び乗った。車が入り込むのを防ぐためだろう、遊歩道には石で動物を模したオブジェが一定間隔で置かれている。上に人が乗るようには設計されていないが、頭のカタイ科学者二人から避難するにはちょうどいい。

　ちなみに俺が飛び乗ったのは、巨大なガマガエルの車止めである。

「相手は傷心のレディなんだろ？　プレイボーイ探偵のカーマイン様に任せとけって。俺は探偵技術はそれほどじゃあないかもしれないが、レディの扱いにかけちゃ超一流なんだぜ？」

　ガマガエルの上で胸に手を当ててポーズをつける。街灯がちょうどスポットライトのように俺を照らす。

　そんな俺を見て、サンディーとアカシはそろって肩を落とした。

「ミスタ・カーマイン、心意気は立派ですが、相手には生身の常識が通じませんヨ。相当強いゴーストですし、やっぱり私も手伝ったほうが」

「レディだの、ゴーストだの、さっきからいったい何の話です？　とにかくそこから降りてください、カーマイン」

　まったくロマンを解さない連中である。

　俺はガマガエルからふわりと飛び降り、サンディーの目の前に着地して、そのおでこにキスをした。

　前髪を全部頭頂部に上げた、サンディーの額は高く秀で、若さと知性にあふれている。こういうおでこは、子供の頃から保護者の愛情たっぷりのキスを浴びていて、親が子にするようなやさしいキスには弱いはずだ。

「サンディー、レディの心を溶かすには、まず二人きりになるのがセオリーなんだぜ？　カーマイン様を信じろって。俺とアカシなら、大丈夫。なあ、ドクター？」

　サンディーのおでこにキスをした後、振り向きざま、俺はアカシにウィンクを送り、ついでに素早く指先で唇に触れた。このドクターは、俺のウィンクにも弱いが、スキンシップにはもっと弱い。

　弱点を突かれて二人が動きを止めた隙に、俺はさっさと歩き出す。

「さ、行こうぜ。モタモタしてると、ショッピングモールが閉まっちまう」

　黒いビルに赤い照明のＲＥＤビルが、もう目の前に見えている。

　正確にはサンディーは、市民パークから地下道に潜って交差点をくぐり、地下ショッピングモールを抜けて、ＲＥＤビルの裏側に回ったところに住んでいる。実は俺たちが一昨日まで住んでいたのと同じ、ＲＥＤの所員寮住まいというわけだ。

「ドクターのお住まいは七階でしたっけ」

　ショッピングモールの喧噪を抜け、地上に上がったところで、サンディーがビルの上を指さす。

　上の方は、同じような窓がいくつも並び、どれがどの部屋だかよく見えない。灯りのない窓のどれかが、住人が引っ越してしまったアカシの部屋なのだろう。どさくさに住み着いた、大して思い入れのない部屋だったが、こうして見ると、何となく郷愁がこみ上げるのが不思議だ。

「私は九階なんです。送ってくださってありがとうございました」

　見慣れたエントランスで、サンディーが合掌する。

「じゃ、ミスタ・カーマイン、頑張ってくださいネ。くれぐれも気をつけて、無理はしないで。何かあったら、コールしていただければすぐ駆けつけますから」

　俺にヒソヒソ囁くサンディーに、アカシが怪訝な目を向ける。この二人、一人ずつならむしろ扱いやすいのだが、二人セットだとどうも俺の手に困る。

「オール・オッケー、サンディー。グンナイ」

　いい加減な相槌でサンディーの額にキスをして、中に入るよう促す。

「おやすみなさい、ドクター。気をつけて」

「ええ、おやすみなさい、サンディー」

　サンディーはアカシにも丁重な挨拶をしてから、エントランスホールに消えた。

　セキュリティ・ロックのかかったスモーク・ガラスのドアは、いったん閉まると、中がまったく見えない。つい数日前にはこの内側に匿われていたのに、今夜の俺たちは背を向けて立ち去るのだ。

　同じことを考えているのか、アカシも黙って見えないスモーク・ガラスの中を見ている。

「帰りますか、カーマイン」

　数秒置いて、アカシが口を開く。

「帰るか、うちに」

　俺も答える。安アパートを追い出され、アカシの寮に転がり込んでいた俺だったが、今では紆余曲折を経て帰るべき家がある。

　その家に、ゴーストが憑いているというのは、いささか問題だが。

　アカシと二人で並んで歩く帰り道、パークの遊歩道を横切った蛍の光は、昨夜のように凶々しくはなく、きれいだった。

◆

　テーブルの上の食器を下げ、流しで洗う。こういうことは、俺はまったく手伝わない。

　リビングでゴロゴロしつつ、座布団の下に隠しておいた魔法のステッキをポケットに忍ばせ、頃合いを見計らってアカシの背後から近づく。そっと覗いた横顔は、まだ微妙に不機嫌だ。

「なになに、可愛いサンディーちゃんに妬いてんの、ドクター？」

　アカシの肩に手を回しながら、俺は耳元に囁く。アカシは一瞬びくりと片眉を上げて、だがそのまま洗い物を続ける。

「別に。ただ、あなたが誰かれ構わず女性にキスをするのが、愉快か不愉快かと訊かれれば、不愉快ではありますね」

　平静を装い感情を隠した硬い声色が、かえって正直なジェラシーを訴えて可愛い。さっきまで一緒にいたサンディーは可愛いかったし、そもそも俺は女好きなのだが、アカシのこういうところは、時々たまらなくそそる。

　俺は横からアカシの肩を抱き寄せると、心持ち尖った唇をキスでついばんだ。不意打ちに驚いたのか、アカシが束にして洗っていた箸を取り落とし、ガシャガシャ派手な音を立てる。

「な、何ですか急に！」

　耳まで赤くして、アカシが怒る。

「まったく感じやすいね、ドクターは。グラスでも落としたらどうすんの。昨夜はセックスに夢中で、ルームランプまで割っちゃってさ」

　舌なめずりしながらウィンクしてやる。まあ俺は最初から、落としても割れない箸のタイミングを狙ったわけだが。

「ゴーストにもこれくらい敏感だとありがたいんだけどね。ま、そのへんは俺が何とかするとして、始めますか」

　笑顔で宣言して、水道の蛇口を止める。女性だったらお姫様抱っこをするところだが、アカシは重くはなくとも長くてかさばるので、強引に腕を引いて連れ出す。

「ちょっと、どこ行くんですか。何を始めるって言うんですか、カーマイン！」

　まだ洗剤の泡にまみれた手を中途半端に上げたまま、アカシが抗議する。

「ズバリ、ゴースト退治」

　ポケットに突っ込んでいた魔法のステッキを取り出して、振ってみせる。緊張感のないピンクのステッキはどこからどう見てもジョーク・アイテムで、間違っても本気には見えないだろう。

「カーマイン、まだそんな非科学的なことを」

　文句を言いながらも、大した抵抗もせず着いてくるあたりがまったく可愛い。アカシはいつでも俺にメロメロなのだ。

「非科学結構、俺は科学者じゃないしな。ゴーストにとり殺されるのはゴメンなんで、ご協力お願いしますよ。ドクターはただエクスタシーに身をゆだねていればいいからさ」

「エ、エクスタシーって、カーマイン、何を……！」

　俺はまずアカシをバス・ルームに連れ込んだ。本来ならレディ・ゴーストのいる寝室でいたすべきなのだが、パークを歩いた分の汗を流したかったし、抵抗するアカシを引きずって二階に上るのが面倒だったからだ。

　どうせ今夜は長丁場だ。バスタブで存分にトロけさせてから、寝室に運べばいいだろう。

　脱衣所の壁に押しつけて、キスしながら服を脱がせる。

　この頃はユカタばかり脱がせていたので、シャツのボタンを面倒に感じる。婦人服は背中ファスナーや横あき等の脱がせやすい工夫が満載なのに、紳士服は何故こうも面倒くさいのだろう。脱がし脱がされる愉しみは、男女平等に保証されるべきだと俺は思う。まあ、俺とアカシはどっちも男なのだが。

「ン、カーマイン、そんなに毎晩は。明日も仕事が」

　合間に、アカシが喘ぐ。聞こえないフリで、俺はさらに深く舌を絡める。

　押しつけた頬に硬い物が当たる。ドクターの銀縁メガネだ。はずして、脱衣カゴに放る。

　途端に、アカシのほうから俺にしがみついてくる。まだ新しい家で、メガネなしは怖いのだろう。キスだけで、立っていられないほど感じまくるのは、アカシの癖でもあるわけだが。

　アカシを壁に押しつけ、しがみつかれた窮屈な姿勢のまま、俺は自分も服を脱ぎ始める。タイこそ締めていないが、昼間出かけたままのスーツ・スタイルで手間がかかる。

　どうにか脱ぎ終える頃には、アカシは酸欠でフラフラになっていた。ドクターは、キスの息継ぎがなかなか上達しない。

　抱きかかえるようにして、バスタブに連れ込む。

　新居のバスタブは、広々としたヒノキ製だ。コンピューター管理で、二十四時間いつでも入浴できる。

　入浴剤を入れていない透明な湯の中に、アカシはぶくぶく顔まで沈みかかった。男二人が入っても充分な広さのバスタブは、脱力した人間をつけておくには危険らしい。

「オイオイ、溺れてんじゃねーぞ」

　腕をつかんで引っ張り上げ、首につかまらせる。

　と、首筋に、しっとり冷たい感覚が触れた。そういえば、俺もアカシも、手首にサンディーのくれた飾り紐を巻いたままだったのだ。

　ビーズをあしらった絹糸の束は、湯を吸って重く、より色鮮やかに映える。

　俺は手首に飾り紐をつけたまま、アカシの頬に手を当てる。頬や鼻梁に貼りついた髪を、指先ではらってやる。まじない紐の鮮やかな赤が、濡れた黒髪と白い肌を撫でる。

　額に触れると、アカシの黒い瞳が物欲しげに動いた。視線の乞うまま、額にキスをしてやる。

　コイツ、さっきのサンディーのおでこへのキスに嫉妬していたらしい。こんなお子様向けのキスをうらやましがるなんて、ドクターはかなりの少女趣味だ。

　額から鼻梁、顎の先、喉へとキスを降らせていきながら、俺は片手をこっそり浴槽の中に沈めた。手の先には、例の魔法のステッキを隠し持っている。

　アカシの腰を抱くようにして、先端のトルマリンを指で回転させる。アカシは瞬間、ヒクリと体をふるわせた。

「な、んです？」

　怯えたように、俺を見る。

「電気風呂」

　答えながら、もう一発、腰骨あたりに当ててやる。

　それほどの電流じゃない。痛みを感じるわけでもない。ただ触れた部分が、反射で勝手に反応する、それだけだ。電流は湯を伝い、俺の全身にもかすかな痺れを残す。

　具体的な感覚と呼べるほど強くはなく、遠く気だるいような、どこか甘いような、そのくせ無視できない刺激。

「な、んだか、カラダ、が、勝手に」

　奇妙な感覚に、アカシが不安げにしがみついてくる。未知の感覚が怖いなら、俺から離れればいいのに、決してそうしないのがアカシだ。それが快楽だろうと苦痛だろうと、むしろ貪欲に、俺の与える感覚にカラダをゆだねようとする。

「痺れるだろ？」

　囁きながら、足の付け根あたりにカギ爪を当て、中の石を転がす。アカシがギュッとしがみついてくる。たしかこのあたりにも、ヤツの感じるポイントがあったはずだ。

「イイのかよ、電気風呂？」

　耳朶を噛むついでに聞いてみても、アカシは首を横に振る。

「わか、りません。でも、アッ」

　イイかどうかはともかく、感じるのはたしからしい。

　同じ湯につかっている俺の体も、微弱な電流の痺れに慣れてきている。これはこれで、クセになる感覚かもしれない。

「……カー、マイン」

　そうしてしばらく電気風呂につかっていると、アカシがぐったりしたアゴを俺の肩に載せてきた。

「カラダが、痺れて、もう」

　いやにゆっくりと、アカシは弱音を吐く。

　どうやら大分消耗したようである。この分なら、二階の寝室に運ぶのも楽だろうし、ゴーストに憑依されて昨夜のように暴れ出したとしても、何とかなるだろう。

「じゃ、つかまってな」

　アカシに首に抱きつかせたまま、俺は立ち上がった。バスタブを抜け出し、脱衣所でバスタオルを頭からかけて軽く拭いてやる。アカシは身長がある分扱いにくいが、ふっくら洋ナシ体型の金持ちマダムよりははるかに軽い。

　それから抱き上げて二階の寝室に運ぶまで、アカシは湯あたりした子供のように、俺の首にぐったりしがみついていた。