松田幸久。若手人気ナンバーワンと言われる指揮者で、現在はＲＳオケの常任を務めている。ＲＳの後任を松田が快く引き受けてくれたから、千秋は安心して留学できているわけで、少なからずの恩義は感じている。

　が、はっきり言ってあまり性格のいい人物ではない。

　松田個人の性格というより、単に千秋との相性がよくないのかもしれないが、会うたびにチクチクと意地の悪いことを言われる。千秋自身の性格も決して温和ではなく、人に疎まれることも多かったから、そういうつきあいも珍しくはないのだが。

　その松田から、二人で飲みたいなどと誘われるのは、きわめて珍しいことだった。

　指定されたホテルのバーに行くと、松田は軽く手を振って千秋を迎えた。既に一人で何杯も飲んでいるようだ。

「松田さん、ご無沙汰してます」

　歩み寄って、ぺこりと頭を下げる。

「ホントご無沙汰だな。帰国したら、真っ先にＲＳに顔出せよ。オケの連中がお前の帰国の噂ばかりして不愉快だ」

　わざわざ呼び出した割には、松田は相変わらず口が悪かった。あまりにいつも通りの松田で、千秋はかえってほっとする。

「スミマセン、実家で法事がありまして」

　形ばかりの詫びに言い訳を付け足して、千秋は松田の隣に腰を下ろした。

「ＲＳはどうですか、最近」

「自分で見に来りゃいいだろ。どうせ峰あたりからいろいろ情報がいってるんだろうし」

　薄暗い店内の、奥まったボックス席である。テーブルにはグラス入りのキャンドルが灯されている。年頃の男女が座れば絵になるだろうが、口の悪い松田と千秋では、ムードのカケラもない。

　松田は片手を上げて店員を呼ぶと、ワイングラスを持ってこさせた。

「つきあえ」

　テーブルにあったワインボトルを上げて、アゴをしゃくる。ボトルの中は、既に半分以上減っている。

「いただきます」

　素直に差し出した千秋のグラスに、松田は不作法なほどなみなみとワインを注いだ。

「全部飲め。俺のおごりだ、残すなよ。パリはどうだ？　痛い目に遭って少しは人生勉強してるか」

　歯を剥いてプレッシャーをかける松田に、千秋は小さく苦笑する。普段は若手ナンバーワンの貫禄を見せる松田だが、千秋に意地悪を仕掛けるときの表情はまるで子供だ。

　苦笑を隠すようにワインを一口飲んで、千秋は首を傾げた。

　ボトルのラベルは千秋も見覚えあるワインだが、妙な違和感がある。舌先にほんの少しだけ苦く、舌の根にねっとりした甘さが残るような、経験のない感覚だ。

「何だ、俺の酒はまずいか」

　目の据わった松田が絡んでくる。

「いえ、ただちょっと味が」

「だから、俺の酒がまずいって言いたいのか？」

　再び絡まれて、千秋は曖昧に首を横に振った。酒の味そのものがまずいわけじゃない。どちらかというと、舌触りに違和感があるのだ。まるで微量の粉末を溶かし込んだような。

「日本で飲むフランス・ワインなんてこんなもんだろ」

　千秋の懸念を払うように、松田が自分のグラスを一息にあおる。

「もう終わりだ。飲め、残さず飲め」

　言いながら、松田は千秋のグラスにさらにあふれるほどワインを注いだ。危うくこぼしそうになり、千秋は慌てて口を付ける。

「うまかろ？」

　千秋が飲むのを見届けて、松田がにやりと笑う。

「はあ」

　適当な相槌を打ちながら、千秋はやはり違和感を拭えない。だが、こんなものだ、と言われると、そうなのかとも思ってしまう。松田のペースに引きずられるように、一口、二口と飲み進める。味そのものは、それほど悪くない。

「安心しろよ、お前なんかを毒殺したって、俺は面白くも何ともない」

　松田の言に千秋はぎょっとする。ワインの違和感は、何か混入物があるということなのだろうか。

　松田の顔を見てみると、ただ酔っぱらっているだけのようである。

　冗談、なのだろう。実際、千秋のワインに混ぜ物をしたところで、松田の得になることなど何もない。

　千秋はさらに、味を確かめるように飲み進める。味は、おかしくない。舌の根に残る感触が、変に甘ったるいだけだ。

「少なくとも俺はな。『俺の』流儀じゃない」

　何故か松田は、俺の、を強調して繰り返した。

　もう一度顔を見ると、口元を笑いに歪めた松田の顔が奇妙にひしゃげて見える。

　千秋は首を左右に振った。ぐらりと、視界が揺らぐ。

「……誰かが千秋に毒を盛ろうとしても、止めないかも知れないが、な」

　すぐそばにいるはずの松田の声が、不思議に遠くから聞こえる。

　小刻みに明滅してやがて暗くなる千秋の視界に、グラスに半分ほど残ったワインの赤が、毒々しいほど鮮やかに迫って消えた。

◆

　体がだるい。内側に奇妙な熱がこもってじっとり汗をかいている。手足が重く痺れているのに、五感だけがやけに鋭敏だ。

　洗い立てのリネンのにおい、すべらかなシーツ、心地よく沈むスプリング。どうやらベッドに横たわっているらしい。シーツが素肌に肌に触れていて、何故か裸なのだと気付く。

　クスクスと、ごく近くで誰かの笑い声がした。

　うっすら目を開ける。

「あ、気がつきましたか、千秋くん」

　柔和に笑いかける顔に見覚えはあったが、何故彼がいるのかがわからない。ふわふわの茶色の髪、少し垂れて愛嬌のある目、片耳にピアス。

「……高橋？」

　確かめるように名前を呼ぶと、彼は破顔して喜んだ。

「そうです、お久しぶり。すごく会いたかったですよ、千秋くん」

　高橋紀之。華やかな容貌のヴァイオリニスト、ＲＳのコンサート・マスターである。どういうわけだか、彼は素肌にバスローブをまとい、千秋の横たわるベッドの縁に頬杖をついている。

　何故、高橋が突然ここにいるのか。そもそもここはどこなのか。

　千秋はたしか、ホテルのバーで松田と飲んでいたはずだった。そのとき飲んだワインに何か混入物が……。

「松田さん！」

　跳ね起きると、くらくらと目眩がした。間違いない、一服盛られたのだ。

「おー、激しいお目覚めだな、王子様」

　ベッドの反対側に、松田は腰掛けていた。高橋と同じバスローブ姿で、ワイングラスを傾けている。

「これはいったい、何の真似だ！」

　怒鳴ったが、自分自身の声が頭に響いて目眩がする。こめかみを押さえ、千秋はベッドの両側の二人を見比べた。

　濡れ髪素肌に揃いのバスローブ、背景はホテルのデラックス・ツイン、部屋の灯りは落ちていて、窓の外にロマンティックな夜景が見えている。

　つまり、そういう状況らしい。高橋がゲイというのは知っていたが、松田とそういうことになっていようとは。

「ちょっとした遊びだよ。俺はどっちでもいいんだがな」

　千秋の視線に、松田があっさりと答える。どっちでもいいというのは、男でも女でも、という意味だろうか。それともこの状況が、遊びでも本気でもという意味だろうか。

「紀之が帰国の噂を聞いて会いたがってうるさくてね。クールな顔した生意気な王子様を虐めてみるのも一興かと……ま、音楽やるならこういう経験もしといたほうがいい。深く考えず現状を愉しめ」

　松田の言い草に、千秋はギクリとする。

　この二人の関係については今はどうでもいい。この状況に、千秋が連れ込まれている、ということが緊急の問題なのだ。松田お得意の、悪い冗談、ではないのだろうか？

「大丈夫、強姦じゃないですよ。ちゃんと気持ちよくしてあげますから」

　後ろから千秋の肩に手をかけて、高橋が恐ろしいことを口にする。身震いしてとっさに振り払うが、反対側から伸びてきた松田の手にあっさりと絡め取られる。

　体が小刻みに震えて、力が入らない。

　松田にベッドに仰向けに転がされ、上げた両腕を枕に縫い止められる。もがく下半身には、高橋がのしかかった。

　裸体を包んでいたシーツを、一気にめくられる。冷たい空気が一糸まとわぬ素肌に触れ、羞恥と五感とを刺激する。

「やめろ……ッ！」

　叫んだが、自分の声にまた目眩を起こして脱力する。相手は二人の上に、高橋はやけに手慣れている。形だけもがいてみても、押さえ込まれてびくともしない。

　いったい、どうして、こんな状況に陥ったのか。考えてみたところで思考は回らず、ただ体の感覚だけが過敏になる。

「千秋くん、無駄な抵抗はしないほうがいいですよ。僕も同じクスリ使ったことありますけど、既に痺れるくらい感じちゃってるでしょう？　あ、ヨーロッパでは合法ドラッグですから、ご心配なく」

　実際、千秋の体は過敏に反応していた。忍び笑いを吹きかけられるだけで、得体の知れない感触が背筋をゾクゾク這い上る。さらに、尖った唇に腰骨をついばまれ、温かい舌に下半身を撫で回される。

「……ウ！」

　先端を軽く吸われて、たまらず声が漏れた。唇や舌だけでなく、男にしては華奢な指が愛撫に加わる。

「よ、せ……ッ」

　制止の声が、掠れて裏返る。呼吸が浅く、速く、ひきつれる。

　高橋はわざと音を立ててしゃぶりながら、男の快楽を追いつめる繊細な指技を披露した。

　そういえば、彼のヴァイオリンの魅力は、聴衆が息を呑むほど繊細なテクニックにあった。いつもなら弦を押さえ、弓を引くヴァイオリニストの指が、まるで楽器のように千秋をかき鳴らす。耐え難いほどの快楽が、神経の糸を伝って千秋の全身を支配する。

「千秋、乳首まで勃起してるぞ」

　高橋の与える快楽に意識の飛びかけた千秋を、松田の一言が羞恥に引き戻す。上げさせた千秋の両腕を松田は膝で押さえ込み、胸の突起をからかうようにつまんだ。

　瞬間、ビクビクンと下半身が跳ねる。

「ア、う、あぁ……ッ！」

　どうしようもなかった。なすすべもなく、高橋の口の中に劣情を放つ。

　高橋は口の端にあふれた白濁液を親指で拭い、にこりと笑った。

「千秋くん、ごちそうさま。ね、松田さんも味見する？」

　脱力した千秋の上に乗ったまま、高橋がねだるように顎を上げる。その顎に手をかけて、松田が舌を差し込む。

　頭上でディープなキスが交わされるのを、千秋はぼんやりと眺めた。

「濃いな。たまってたろ、千秋」

　舌なめずりをする松田が嫌味を寄越したが、反応する気力もない。全身から、力が抜けている。もはや薬のせいなのか、それとも別の要因か、千秋にはわからない。

「じゃあ、今度は僕の番。松田さん、押さえてて」

　高橋はにっこり笑い、千秋の膝の裏に手を入れた。左右に開き、膝を立てさせる。

「動くと傷つけるからね、おとなしくして」

　立てた自分の中指にローションを垂らしながら、高橋はやさしく微笑みかける。

「な、に……アッ？」

　ぐったり脱力して体を預けていた千秋は、声を上げた。立てた膝の最奥に異物が触れたのである。

　ローションのぬめりを帯びた、男にしては細い、けれど硬い爪のついたヴァイオリニストの指先。出口を入口にしようと探るその形が、はっきりとわかる。

「いや、だ、やめろ……！」

　今度こそ、千秋は全身で拒絶し、暴れた。

　だが相手は二人である。両腕と上半身を松田に、下半身を高橋に抱え込まれ、どうにもならない。高橋は抵抗にも慣れた様子で、強引に押し開こうとはせず、暴れる千秋の動きにあわせて少しずつ侵入を試みる。

「大丈夫、力を抜いて、千秋くん」

　高橋は繰り返し囁き、千秋が力尽きて大人しくなるのを辛抱強く待った。一度快楽に流された後である。陥落までにそう時間はかからない。

「……ァ、ン」

　思わず鼻に抜けた吐息を高橋は聞き逃さなかった。

「ここですか、千秋くん？」

　反応した部分を指先でクリクリと転がされ、じわりと勃起する。不思議なことだが、雄も内側に快楽の秘所があるらしい。

「さすが千秋くん、素質ありますよ」

　うれしそうに、高橋は同じ部分を執拗に弄った。松田が興味深げに覗き込む。

「男でも普通に感じるものなのか、ソコは？」

「ココは男じゃなきゃ感じませんよ。何なら、松田さんも試してみますか？　お尻の中」

　はしゃぐ高橋に、松田がかぶりを振る。

「いや、またにしとく。それより王子様がお待ちかねだぜ」

　二人に覗き込まれ、千秋は身じろいだが、どうしようもない。視線が定まらず、すすり鳴く犬のように呼吸が乱れる。

　先端のしたたりを舌先ですくって、高橋は微笑んだ。

「もうこんなになってる。可愛いなあ、千秋くん」

　高橋は指を抜くと、千秋を転がしてうつぶせにした。

「やさしくしますからね、力抜いて」

　もはや千秋はされるがままである。

「松田さん、千秋くん抱きしめててあげて」

　上半身を松田が捕まえ、高橋が千秋の膝を折り曲げて四つ足にする。上げさせた腰の背後から、高橋は自分のものをあてがった。

「え？　ア、や……ッ」

　ローションと指でぐしょぐしょにほぐしたせいか、高橋のテクニックか、入口にさほど抵抗はなかった。軽く前後に揺さぶりながら、高橋が入り込んでくる。

「あ、ハァッ、あ、あ、あぁ……っ！」

　吐息が喉をこすれて悲鳴になる。拒絶ばかりでなく、あきらめと甘さの混じる自分の声ではないような響きに、いっそうの羞恥がこみ上げる。

「すごい。ちゃんと奥まで入った。名器ですね。相当きついけど、うまく鳴かせられるかな」

　感心する高橋の声が、つながった内部から響いてくる。中のものが抜け出ようとして、ふとひっかかった。

「ふ……ゥ、ン！」

　収縮する千秋の内部が、高橋をくわえ込んで離さないのだ。

「もう少し、力抜いて、千秋くん」

　腹が立つくらい、高橋は冷静だった。

「……う、あっ、ふ、ン、あっ！」

　千秋の力が抜けるのを待って、ゆっくり注挿を開始する。ヴァイオリンの弓のように情熱的に、情感の盛り上がりにあわせて次第に速く。リズミカルに揺さぶられる衝撃と、こすり上げる弓に引きずり出される快感。

「やっ、あっ、ア、あぁっ！」

　甘い声が断続的に上がる。目眩がして、視界がぼやける。

　千秋は夢中で、上半身を支えている松田にしがみついた。松田の胸にすがりながら、後ろを高橋に責められている。他に、どうしようもなかった。

「オイオイ紀之、やさしくしてやれよ。千秋泣いてるぞ」

　面白そうに、松田が言う。千秋には自覚がなかったが、ぼやけた視界は涙のせいか。

「え、泣いてるの？　僕も見たいな。お顔見せてください、千秋くん」

　背後の高橋は朗らかに言い、入れたままで千秋の体をぐるりと回して仰向けにした。内側をぐるりとかき回される衝撃に息を詰まらせる千秋の上に、覆い被さってくる。

「千秋くん、つかまって」

　高橋は千秋の膝を開き、自分の腰に脚を絡めさせた。首に手を回すよう促されて、千秋はぎゅっとしがみつく。何でもいいから、すがれるものが欲しかった。

「ンッ、ふ、あっ、あぁっ！」

　角度が変わると、新しい刺激が生まれる。向かい合わせの体勢で、より速くより深く貫かれ、千秋は喘いだ。

「もう可愛いなあ。感激ですよ、千秋くん」

　高橋の忍び笑いが、耳朶に吹き込まれる。揺さぶられると、高橋の耳のピアスの石が頬に冷たく触れた。触れあう肌はじっとり汗ばんでいる。

「オーイ、俺が退屈だぞ、紀之」

　頭上から、松田が不平をこぼす。

「じゃあ松田さんは僕に入れたら？」

「って、この状態でか？」

「ええ、サンドイッチは僕も初めてですけど」

「このスキモノめ」

　二人が何を言っているのか、耳には入っていても千秋は理解する余裕がなかった。それほどに、快楽に溺れていた。

　ベッドをきしませて、頭上の松田が高橋の後ろに回る。高橋の腰を、松田が鷲掴みにする。

「ふ、あッ！」

　それまで余裕を見せていた高橋が、大きく悶えた。高橋の後ろを、松田が貫いたらしい。

　それまでの千秋の反応に合わせる繊細な動きとは一転して、容赦のない、強く、深く、速く、激しいペースに切り替わる。松田の指揮はそういえば、有無を言わさずオケを従わせる強引さが魅力の一つでもあった。

「ちょっ、松田、さん、千秋、くん、いる、のに、もうちょっと、レガー、ト、んっ、ふ、あンッ！」

　高橋の訴えは、スタッカートに途切れる。闇雲に千秋を抱きしめながら、高橋は眉根を寄せながらも恍惚の表情を浮かべた。

　テクニカルな高橋と、その背後の強引な松田と、二段階に突き上げられるリズムに、千秋ももう何が何だかわからなくなっている。自分の声とは思えない嬌声が聞こえている。

「ち、あき、くん、気持ち、イ、ですか？　アッ！」

「千秋のことばっか気にしてんじゃねーよ、紀之。さっさとイッちまえ」

　それでも千秋を気遣う高橋を、松田がプレストの動きで翻弄する。

「ヤッ、あっ、ちょ……ン、アッ、ああーっ！」

　陸に揚げられた魚が跳ねるように、高橋が千秋の中でビクビクンと脈動する。内側から突き上げる激しい衝撃に、千秋も二度目の絶頂をほとばしらせた。

「結構愉しめたろ、王子様。次は千秋が真ん中やってみるか？」

　ブラックアウトしかける千秋の視界の隅で、松田がニヤリと笑う。高橋の腕が、愛しげに絡みついている。

　拒むこともできず流されるまま、千秋はただ目を閉じた。