だって僕にとっては、これからの生涯をかけるような告白だったのだ。

　それはたしかに、要には前提の説明をしていなかったかもしれない。思春期のオナニーの延長でペッティングをしてキスをして、そのままの関係で、これまでお互い好きだなんて告白しあったこともない。

　でも、だとしたら、僕のこの真摯な誓いは、ただの空回りなのだろうか。

　茫然とする僕の頭をぐいと引き寄せて、要がチュウっと吸いついてくる。まだ恋を知らない子供がふざけてするような、乱暴なキスだ。

　僕は目を閉じることも忘れて、要の顔を覗き込む。

　童顔をさらに幼く見せる広い額、髪と色の違う眉の下でぎゅっと閉じたまぶた、紅潮した頬。それはランドセルを背負っている頃から知っている要で、二十歳を過ぎてもちっとも変わらない。

　そして要の気持ちも、あの頃から何も成長していないのだとしたら。

　押しつけあった股間に、要の手が入り込んでくる。トランクスの上からいきなり握られて、僕は息を詰まらせる。僕より小さな要の手のひらが、熱くなった僕のものを幼い仕草でしごき始める。

「あっちゃん、も、してえな」

　唇を離して息を継ぐ合間に、要がねだる。僕の手を取って、トランクスの中に導く。

「ん、んんっ、あっちゃん！」

　硬く張り詰めて息づいているもの握り込むと、要が喉をそらす。手のひらで包み込み、順に五指を折りたたむ。上下に擦りながら、先にしみだしたものを塗り広げるように指をすべらせる。

「あ、あ、あっちゃん」

　体を強張らせて、要が喘ぐ。雨音に声が消される分、重ね合わせた胸から、鼓動と吐息とが伝わる。要の快楽は、いつも僕より早く訪れる。

　こうなるともう、トランクスの上から触れている要の手は僕をぎゅうぎゅう握り締めるばかりで、意図的には動かない。

「あ、イタい。あっちゃん、痛い」

　そのうちに指での刺激に耐えられなくなって、要は首を横に振り始める。

　潤んできた瞳は痛みのためではないだろうが、おそらく要はひどく敏感なのだ。

「……痛い。舐めてえ、あっちゃん」

　求められるままに、僕は胸を伝い、要の膝の間に降りる。トランクスをずらして、本体と同じく小刻みに震えているピンクの要を取り出して口に含む。

「あっちゃん、あっちゃん、あっちゃん」

　絶え絶えに、要が僕を呼ぶ。僕は喉の奥まで要を飲み込んでいるから、呼ばれても答えることができない。答えるかわりに、暴れる下半身を両手で押さえ込み、舌を絡ませて吸い上げる。

「あっちゃん、あ、ああっ、あーっ！」

　口の中で要が跳ねて、太股が僕の頬をぎゅっと挟む。僕は喉を鳴らして、要の放った熱をゆっくり飲みくだす。

「……要？　寝ちゃった？」

　全身の力が抜けると、要はそのまま眠り込んでしまったようだった。

　僕は要の髪をすいて額にキスをし、あどけない寝顔とピンクに染まった裸体を肴に、自分のトランクスに手を差し入れる。

　別に、今日に限ったことじゃない。

　出してしまった後の全身の虚脱感は同じ男としてわかるし、たいてい要のほうが早いから、仕方がない。

　それでも今日は、自分の始末をした後、どうしようもない虚しさに囚われた。

　やっぱり僕は、そろそろ人生を真剣に考えるべきなのかもしれない。

　明日の会議に出られないことを考えると、今頃考えても遅いのかもしれないが。それでも僕はきっと、考えるべきなのだ。

　小屋にあった毛布で裸の要をくるんでやり、自分は服を着て、下半身だけを毛布につっこんでぼんやり考える。横になって眠る気もせず、僕は座って木箱に背を預ける。

　山小屋はロウソクの炎で細々と照らされている。もともと溶け残りだったロウソクはもうほとんど尽きかけて、皿の上に直に炎が揺れている。

　消える、と思った瞬間、炎は刹那大きく膨らみ、不意に萎んであたりは真っ暗になった。

◆

　人の気配に、僕は目を開けた。

　あたりはぼんやり白く照らされている。さっきロウソクが切れたように思っていたが、まだ残っていたのだろうか。むしろ、さっきよりも眩しく感じるくらいだ。それに、何だか体が温かい。まるで、ストーブでもついているかのように。

　眠る前まで聞こえていた叩きつけるような雨音は、いつの間にか止んでいた。ぴちょん、ぴちょんとしずくの滴る音が、どこか遠くで響いている。

　すぐ目の前に、人影が立った。小さな女の子だ。

　五、六歳くらいだろうか。黒髪のおかっぱに、黒い瞳。色の白い肌が、磁器のように淡い光を放っている。

　古びた赤い着物を着ているが、帯の位置に巻いているのは何故かレースのリボンだ。和服に西洋風の取り合わせは奇妙だが、一見国籍のわからない少女の顔立ちにはよく合っていた。

　少女の瞳は底がないように深く、じっとこちらを見ている。

　僕は大いに狼狽し、わたわたと身じろいだ挙句、スイマセンと頭だけを下げた。

　最初、この家の住人かと思った。が、それにしてはここはあまりにもただの山小屋で、とても人が住めるようには見えない。そのうえ、車も入れないような山の上だ。付近の住民ということもありえないだろう。

　すると次に考えられるのは、この山小屋の管理人の子供である。山中の山小屋とはいえ、管理する人はあるはずで、きっとたまたま子供を連れて来たのだ。

　そして行き倒れて眠りこけている僕たちを発見し、寒くないようにストーブをつけて、そっとしておいてくれたのかもしれない。今はここに子供しかいないが、用足しにでも出かけているのだろうか。

　いずれにしても、僕たちは勝手に上がりこんで毛布まで借りている不審者である。

　僕は下半身はトランクスだけだし、天下泰平で眠りこけている要に至っては、毛布の下は素っ裸だ。無礼を詫びておくに越したことはない。

「あなた、迷ってるのね」

　いきなり、女の子はそう言った。声は幼いが、まるで大人のような口調だ。

「え。あ、はい。道に迷って、雨宿りで」

　しどろもどろで、僕は答える。

　じっと、試すように女の子は僕を見ている。歳の割に、相当しっかりした気性の子らしい。体ばかり大きくなって、中身が子供のままの要とは正反対だ。

「あなたは、やさしいから」

「え？」

　いきなり、何を言っているのだろう。聞き間違いかと、僕は首を訊き返す。

「箱を、揺らさないように運んでくれたでしょう。でもそのやさしさが、ひとを傷つけることもある」

　僕に向かって言っているのだろうか。思わず周囲を見回してみるが、床に要が転がっているくらいで、他に該当者はいない。

　女の子はまだ、僕を真っ直ぐに見ている。

「やさしいから、迷うのよ。他を捨てて、あなたの道を選ぶための、きっかけが欲しいのでしょう」

　重ねて、女の子は訊いた。

　道に迷った間抜けに道案内をしてくれるつもりなのだろうが、随分と難解な言い回しをする。僕は、曖昧に笑って何となく頷く。

　女の子がすいと、滑るようにこちらへ寄った。

　下半身トランクスだけの僕は咄嗟に、全身素っ裸の要を毛布の上から押さえる。万が一にも要が寝返りを打って裸の中身が出てきたら、小さな女の子を前に犯罪者になりかねない。

　ところが女の子は、そんな僕の不審な挙動にはお構いなしだ。しなやかに音もなく、要の枕もとに膝をそろえて正座する。黒髪が音もなく流れる。

　白い、もみじのように小さな手が、ゆっくりと伸びて、要の額に押し当てられた。

　眠っている要に、何をする気だ。

　僕は思わず腰を浮かせたが、上げられた女の子の眼差しに制止された。

　切り揃えられた前髪の下に光る、闇をたたえた黒い瞳。魅入られたように、動けなくなる。

「今夜は、ここで眠りなさい。明日、夜が明けてから小屋を出て、朝日に向かってまっすぐ進みなさい。五十歩と行かず、あなたの道は見つかるでしょう」

　一言一言を区切るように、少女は告げた。道案内というより、まるで巫女の宣託である。

　僕が神妙な顔で頷くと、少女は赤い唇の両端をかすかに持ちあげて微笑した。

「あなた、本当に何でも真に受けるのね。ときには疑うことも必要よ。ひとがウソをつくのは、悪意からじゃないこともあるから」

「え？」

　やっぱり、何を言いたいのかよく分からない。それじゃあまるで、彼女がウソをついているような口ぶりじゃないか。

「平気よ。あなたには、ウソはつかない。……ちゃんと降りてもらわなければ、私も困るもの」

　僕の懸念を見透かすように、少女が言葉を継ぐ。意味は、相変わらずわからないが。

　それから少女は音もなく立ち上がり、すべるように戸口へ移動した。同時に引き戸が開き、少女を外の闇に飲み込んでまた閉じる。

　親切なことに、灯りも消していってくれたようだ。不意に周囲を覆った闇に誘われ、僕はまた、痺れるような眠りの底に落ちていく。

　その後は、内容は覚えていないが、ひどく胸の痛む夢を見た。

◆

　朝、といってもおそらくまだ早い。引き戸の隙間から、白々とした暁光が帯状に差し込んでいる。光の通り道に寝顔を晒して、要はまだ、健やかな寝息を立てている。口がちょっと開いていて、今にもヨダレが垂れそうだ。

　この分だと、しばらくは起きないだろう。要の眠りは、子供のように深い。

　僕は要を起こさぬよう、暖かい毛布からそっと下半身を引き抜いた。

　座ったまま、木箱に凭れて眠っていたので、体のあちこちがギシギシ軋んで痛い。立ち上がってのびをして、首や肩を回しながら、ふと昨夜の女の子の言葉を思い出す。

　朝日の方向にまっすぐ進み、五十歩行かずに道が見つかる、と言っていた。案外、村のすぐ近くまで降りて来ているのかもしれない。

　要はまだしばらく起きそうにないし、ちょっと行って道だけ確認して来るか。

　僕は思いついて、足音を忍ばせて外に出る。要を起こさないように、と用心したのだが、立て付けの悪い引き戸を開けようとすると引っかかってガタガタと騒々しい。雨を吸って、余計にすべりが悪くなったようだ。

　どうにか体が通るだけの幅を開けて、苦労してまた閉じて、僕はふと思い出す。

　昨夜のあの女の子は、この引き戸を音もなく開けて閉めていた。この引き戸を静かに開閉することは物理的に可能なのだろうか。昨夜は寝ぼけていたが、今になれば奇妙な現象だったように思う。

　冷静に思い出してみれば、あんな女の子が真夜中の山小屋に現れること自体、奇妙なことだ。

　少女の存在からしてまるでつくりものめいて、もしかしたら夢だったのかもしれないと思えてくる。

　ともかくも、僕は女の子に言われたとおり、山の斜面を朝日の方向に歩き始めた。道に迷っているのは事実なのだ。本当に道が見つかれば、御の字じゃないか。

　昨夜の土砂降りがウソのように、山は穏やかだった。木々の香りとたっぷりの水分とを含んだ空気は、むしろ昨日よりも爽やかだ。ときおり、樹上からこぼれるしずくが頬に降りかかる。

　たまにはこんな朝も悪くない。

　……ただし、平日の朝でさえなければ。僕は今日の会議のことを考えまいと、首を左右に振った。

　当然か偶然か、道には、本当に五十歩も行かずに行き当たった。獣道なんかじゃなくて、たしかに人の歩いた跡のある道だ。

　道の端に、昨日も見た寺の名前と矢印を記した道標が立っている。道筋を逆に辿れば、ふもとの村へたどり着けるだろう。

　これなら帰れる。急いで戻って、要を起こそう。

　そう思った瞬間だった。背後から、山あいにこだまするような大声が追って来た。

「あっちゃーん！」

　要の声だ。さっきあんなに眠っていたのに、もう目が覚めたらしい。それにしても、ふもとの村も近いのに、こんな早朝からあんな大声を出すことはあるまいに。

　ガサガサガサと、獣が木々を掻き分けて移動するような慌しい音が続く。

　振り返って、僕はギョッとした。

　木々の間をジグザグに、避けそこねてぶつかったりしながら、物凄い勢いで斜面を転がり落ちてきたのは、素っ裸の要だったのである。昨夜毛布に包まって眠ったそのままの格好で、股間なんかぶらんぶらん弾ませている。

「かなっ、なに、してんだ！」

　泡を食って、僕も思わず怒鳴る。獣や子供じゃあるまいし、今は誰も見咎めていないからいいが、街中なら立派な犯罪である。

　だが要は弾丸のような勢いで僕に接近し、そのまま飛びついてきた。

　小柄ながらも猛烈なタックルを咄嗟に受け止めそこね、僕は要もろともその場に転がった。昨夜の雨でぬかるんでいた地面に肩がめり込み、濡れた草が頬を打つ。さらに頭が木の根に当たり、上からパラパラとしずくが降りかかる。

「かなめ、このバカ……！」

　起き上がって抗議しようとした首に、今度は要の腕が絡みついて、がっちりホールドを固められる。息が詰まるほどの凄まじい腕力だ。

「あっちゃん、アカン！　行ったらアカン！」

　ぎゅうぎゅう首をしめながら、要が耳元で叫ぶ。僕は手足をばたつかせ、何とか要の下から這い出そうともがく。

　だが放そうとするのはどうやら逆効果で、ますます要は力強くしがみついてくる。僕はあきらめるというより力尽きて、その場にぐったり脱力する。背中からジワジワと、土中の水分が沁みてくる。

　そこで要はようやく安心したのか、腕を少し緩めて、僕の首にシャム猫模様の頭をすりつけてグズり始めた。

「アカン。オレを山にほかして、嫁になんか行ったらアカンよ……」

　声を詰まらせ、語尾には嗚咽が混じっている。どうも彼なりには、僕の首を渾身の締めただけの相当の理由があるらしい。

　しかし、何を言っているのか、さっぱりわからない。

「なに、言ってるんだよ、かなめ」

　頭をぽんぽんと撫でてやる。ほとんど動物並だ。

「オレほかして、嫁に行ったらアカン」

　顔を上げて、要はそう断言した。古風な言い回しの意味はわかるが、それがこのシチュエーションにどうつながっているのかはわからない。

「ヨメ？　誰が？」

　訊き返すと、要は急にポカンとした。

「……あっちゃんが、オレを山にほかして嫁に行く、って」

　数秒戸惑って、やっぱりわからないことを繰り返す。

「何だよ、それ。何で僕が、婿ならともかく、嫁に行くんだ？　だいたい、山に連れてきたのは僕じゃなくて要じゃないか」

　またポカンと口を開く。

「……それは、そやな？」

　あっさり納得して、首を捻る。

　どうも、寝ぼけたらしい。何しろついさっきまで、あんなにグウグウ寝ていたのだ。

「せやけど、着物の女の子にそない言われて、見たらあっちゃんがおらんようになってて、オレてっきり……」

　これは完全に、寝ぼけたのだ。

「あれは、女の子が言うたんは、ウソやったんかな？」

　なおも、首をかしげる。

「ウソじゃなくて、むしろ夢だろ。ったく。それで、裸のままで走って来たのか？」

　僕を押し倒している要の尻を、平手で叩く。裸の尻は、ぴしゃりと高い音を立てた。要が不満そうに唇を尖らせる。

「ウン……せやけど、あっちゃんがアカンのやで」

「僕が？　何で」

　たまには強気に切り返す。勝手に寝ぼけておいて、強烈なタックルを食らった挙句、責任までなすりつけられるとは心外だ。

「目ぇ覚めたとき、あっちゃんが傍におらんかったから。ちゃんと、顔見えるところにおらんとアカンねん」

「僕はただ、要が起きないから先に道だけ確認してこようと……」

　僕の反論を遮って、要が僕の襟首を掴む。

「せやかてあっちゃん、この頃ちぃとも構うてくれへんかったやん。忙しい、忙しい言うて、会社ばっかりで。あっちゃんだけ、大人になりくさって。せやから、オレがヘンな夢見るねん。オレを山にほかして、おらんようになったあっちゃんを、ずっとオレ待っとって、淋しゅーて……」

　せいいっぱい睨みつけてくる目尻に、涙がにじんでいる。

　正直なところ、僕は驚いた。だって、要に会えなくて淋しいなんて言われたことは、ほとんどなかったから。

「かなめ」

　髪をそっと撫でてやる。フワフワの髪に、木の葉っぱがくっついている。素っ裸でここまで転がり落ちてきたせいだろう。

　頬には、泥までついている。その泥を、舌で舐め取ってやる。にじんだ涙を吸い上げると、要はそっとまつげを伏せた。

「ごめん。そんなに、淋しかった？　かなめはいつも、そういうこと言わないから、気付かなくて……ごめん。でも僕は、要のことがいちばん好きだよ」

　やさしく囁いた途端、要の唇がチュウっと吸いついてきた。

　ムードも何もない、子供じみた要のキスだ。乱暴にぶつかって、唐突に離れる。

「せやから、男同士で好き言うの、きっしょいねん！　アホ」

　真っ赤になって、昨夜と同じことを怒鳴る。

　それで僕は、ようやく照れ屋の要の本音を知る。裸で走り回るのは全然平気の癖に、恋愛につきものの甘いムードを、要はとことん恥ずかしがるのだ。

　それでいつも要は、僕にばかりタチの悪いウソをつくのだろう。

　言葉の表面ばかり真に受けて、僕はほとんど気付かずにいたのだけれども、要のウソには、いつだって裏側に本音がある。

　僕が本当に考えるべきは、そこだったのだ。

「……あっちゃん、なにニヤついとんねん、気色ワル。昨夜の続き、ここでスルで」

　要はさらに怒鳴り、僕にチュウっと吸いついた。

◆

　お婆さんはたいそう喜んで、せっかくだからお顔を見て行きなさいと、その場で人形を出してくれた。『卯月人形』の封印を解いて木箱を開き、幾重にも巻かれた和紙と布をほどく。

　そして、人形が現れるや、僕は要と顔を見合わせた。

　黒髪のおかっぱ、白磁の肌に黒い瞳。赤い着物とレースの帯。ひとを惑わす微笑をたたえた赤い唇。

　……彼女はたしかに、昨夜僕たちの夢に現れたウソつき人形だったのである。 　

Fin.